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安川ひろしの「F1かく戦へり」

私が安川ひろしです。
よろしくお願いいたします。

安川ひろし「第一話 F1遠からず」

安川ひろし (ブリヂストン・モータースポーツ推進室長)

皆さんこんにちは。ブリヂストン・モータースポーツ推進室室長の安川ひろしです。いつも我々のタイヤを装着したチームを応援していただいて有難うございます。おかげさまで、今年のF1グランプリは開幕戦オーストラリア・グランプリから第5戦スペイン・グランプリまで、フェラーリのミハエル・シューマッハが5連勝を上げ、圧倒的な強さでシリーズをリードしています。チームメイトのルーベンス・バリチェロも3度2位に入り、フェラーリはコンストラクターズ選手権でもトップにつけています。
フェラーリ以外のブリヂストン・ユーザー・チームも、次第に力をつけてきました。スペインではザウバーのジャンカルロ・フィジケラが入賞しました。
しかし、うかうかできません。というのはミシュラン・タイヤを装着したチームも、シーズンが進むにつれ、ペースを上げてきたからです。特にB・A・Rホンダの進境が著しい。ジェンソン・バトンは連続3戦表彰台に上がり、シューマッハ追撃の一番手に名乗りを上げてきました。しかし、なんとしてもここは踏ん張って、今年もまたチャンピオン・タイトルは守りたいところです。ますますの応援をお願いします。

ところで、今月から私がF1グランプリにおけるブリヂストンの様々なお話をしていこうと思います。技術的な話は開発の浜島裕英部長がしてくれていますので、私の話はそれ以外の面、例えばこれまでのレース活動の状況、チームとのビジネスの話、F1グランプリを使った広告・宣伝活動の現況・・・などに関するものが中心になると思います。これまであまり皆さんにお話できなかったエピソードなどを紹介できればいいと思っています。時には、エッ、と驚くようなお話が出来るかもしれません。
ジャーナリストの赤井邦彦さんとの対談形式で進めますので、是非お読みいただければと思います。まず第一回目は、我々ブリヂストンがどうやってF1グランプリまでたどり着いたかをお話しましょう。また、質問があればお送りください。可能な限りお答えしたいと思います。


赤井 はじめまして。今回から安川さんにお話を伺うことになった赤井です。安川さんには毎グランプリお会いしますが、なかなかゆっくりお話しする時間がありません。今回からブリヂストンのウエブサイトでお話が出来ることになり、楽しみにしています。では、まずブリヂストンのF1グランプリとの関わりから伺いたいと思います。

安川 かつては、ブリヂストンにとってF1グランプリは遠い世界だったんです。海の向こうの、とんでもない世界でした。でも、1976年に富士スピードウェイで初めてF1グランプリが開催され、そのレースに星野一義選手が出場することになりました。そこでブリヂストンもタイヤを提供することになったんですが、F1タイヤを作ったことのない技術陣は大変だったと思います。ただ、そのレースは激しい雨で、その中を星野選手はヨーロッパから来たドライバーを蹴散らして一時3位を走りました。そりゃあ驚きましたよ。でも、その様子を見て、F1グランプリが少し近くなった気がしました。結果ですか?残念ながらタイヤ交換のときにスペアのホイールが無くて、リタイアでした。その次の年にも同じ富士スピードウェイのF1グランプリでは、日本からの参加チームにタイヤを供給しました。

赤井 ということは、ブリヂストンのグランプリ・タイヤの歴史はもう30年近くあるということですね。

安川 富士スピードウェイでのF1グランプリは2度行われただけで、その後は我々もすっかりF1グランプリから遠のきました。


F1第5戦スペインGPで、歴代参戦タイヤメーカー単独2位となる優勝支援回数84を祝して記念撮影。


FIAのマックス・モズレー会長とにこやかに握手。左が安川、右は浜島。

赤井 日本グランプリでの凄まじい走りを見て、ヨーロッパのグランプリ・チームからタイヤを供給してくれないかという話はなかったんですか。

安川 ヨーロッパのチームからはなかったんですが、日本の小島エンジニアリングからありました。76年に自作のKE007を長谷見昌弘選手の運転で走らせ、ヨーロッパ勢を驚嘆させたチームです。彼らが本場のF1グランプリに出て行こうと考えていたんです。でも、うちにはまだ世界で活躍するためのあらゆる経験が十分ではなかったので、対応できませんでした。というのは、タイヤを作ればいいというものではなく、ヨーロッパまでどうやって運ぶか、チームの要求にどう応えるかなど、まったく知識がなかったですから。それにタイヤを作るといっても、ヨーロッパのグランプリが行われるサーキットの情報はまったくない。それでは良いタイヤは作れませんからね。我々ブリヂストンが継続的にF1グランプリで活動を始めたのは、それから20年ほども経った1997年からです。

赤井 F1グランプリへのタイヤ供給は、昔からやりたかったのですか。

安川 モータースポーツをやっている限り、F1はやりたいですよ。でも、簡単には出来ません。タイヤ会社はレース・チームとは違うので、目的を明確にしないとレース活動は出来ません。もちろん資金的にも、技術的にもすごく大きなものが求められますからね。周到な準備が必要です。しかし、95年に会社の経営陣から許可が出たときには準備に2年かける予定でしたが、開発やテストが思いのほか順調に進み、1年前倒しで97年から参戦することにしました。

赤井 準備期間中はタイヤのテストなど大変だったと思いますが、何かエピソードはありますか。

安川 実はブリヂストンは81年からヨーロッパのF2レースにタイヤを供給したんです。ホンダが参加したときで、一緒にやらないかと声をかけていただいて、それで始めました。その時、ヨーロッパでF2用のタイヤを組んでくれるところを探していたら、マツダ車でレースをやっていたトム・ウォーキンショウという人がDARTというチームを持っていて、そこでタイヤ組み付けなどの仕事を引き受けてくれたんです。その後ウォーキンショウはジャガーのスポーツカーを開発してレースをしましたが、その時ブリヂストンのタイヤを使ってくれました。以来、彼とは懇意になり、我々が95年にF1グランプリ参戦を決定してテストなどの準備をするのを、彼が全面的に支援してくれたんです。その時、彼はアロウズというグランプリ・チームを持っていて、そのチームと共にブリヂストンはF1グランプリ参戦を始めた、ということです。詳しい話は次回にしますが、ウォーキンショウがいなければ今ブリヂストンはこうしてF1グランプリを戦っていなかったかもしれません。

赤井 早く続きを伺いたいですね。今回は有難うございました。


●安川ひろし プロフィール
1972年ブリヂストン入社。1976年にモータースポーツ部門勤務となって以来、同部門一筋。1981年から1985年にUKに駐在し、ヨーロッパF2、F3000などブリヂストン初の海外レース参戦活動をマネージメント。1986年よりル・マン、WECへ参戦、1991年よりDTM(ドイツツーリングカー選手権)、ITC、FIA-GTへ参戦、1997年には長年の夢であったF1参戦を実現させる。
趣味はゴルフ。


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05/07/02 安川ひろし「第十一話 F1の契約書は小説を解読するようなもの」
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