BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
参戦年表 F1参戦まで、そして夢の舞台で闘った14年の歴史

ブリヂストンが1963年にモータースポーツ活動を開始してからF1参戦までの前史、
そして、1997年に世界最高峰のレースであるF1に参戦を果たし、
2010年にその活動を終えるまでの足跡をご紹介します。

年 ブリヂストンF1チャレンジの軌跡 エピソード レギュレーション・歴代タイヤ&マシン

1960
年代

■1963年 第1回日本グランプリ(鈴鹿サーキット)に、2種類のレーシングタイヤ「RAC」「RAD」で参戦。
■1964年 第2回日本グランプリ(鈴鹿サーキット)に、2種類のレーシングタイヤ「R-1」「R-2」で参戦。
 「R-1はラウンドショルダー、「R-2」はスクエアショルダー。いずれもトヨタと共同開発。
■1965年 全日本クラブマンレース(鈴鹿サーキット)に、「RF」で参戦。浮谷東次郎が2クラスを制する。
■1966年 第3回日本グランプリに参戦するポルシェ・カレラ6に装着するため、国産初のプロトタイプスポーツカー用タイヤ「RAG」を開発する。
■1967年 第4回日本グランプリ(富士スピードウェイ)に参戦するポルシェ・カレラ6に「RAH」を装着。
 「RAH」は初めて合成ゴムを配合したもの。
■1969年 ブリヂストンのレースタイヤとして、初めてドライとウエットでトレッドパターンの異なる「RA-100」を開発する。
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1970
年代

■1971年 国産初のスリックタイヤ「RA-300」を発表。
■1973年 トップドライバーと契約し、全日本F2000選手権に参戦。タイヤはバイアスのスリック「RA-500」。
 黒沢元治が初代王者に。
 フォーミュラカーレースだけでなく、富士GCシリーズにも参戦。

 また「RA-500」を使った宣伝活動を開始。

 シグマ・オートモーティブに供給する形で、初めてル・マン24時間レースに参戦。
■1974年 オイルショックの影響で、モータースポーツ活動を縮小。
■1976年 日本初のF1グランプリ(富士スピードウェイ)に参戦。クルマはティレル007フォード(ヒーローズ)。 
 ドライバーは星野一義。開発期間3ヶ月で作った、初めてのF1用タイヤだった。
■1977年 前年に続いて富士スピードウェイで開催されたF1グランプリに参戦。
 クルマは、コジマKE-007(コジマ/ヒーローズ)。ドライバーは高原敬武と星野一義。
■70年代後半 国内トップフォーミュラがF2000からF2へ。79年にウイングカーが現れるとより剛性のあるタイヤが求められる。
■1978年 レーシング・ラジアルの開発を決定(初採用は80年のJAFグランプリ。ドライバーは中嶋悟)

 フランス(ルーアン)、イギリス(ドニントン)のF2に参戦した星野一義にタイヤを供給。
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1980
年代

■1980年 JAFグランプリに、初めてレーシング・ラジアルで参戦。ドライバーは中嶋悟。
■1981年 ヨーロッパF2選手権への参戦を開始(第3戦から)。ラルト・ホンダ、マーチBMWに供給。
 その緒戦でマーチBMWのティエリー・ブーツェンがPPを獲得する。
 最終的には、ブリヂストン装着のラルト・ホンダが、この年のタイトルを獲得する。
■80年代半ば 国内トップカテゴリー(F2および富士GC)で圧倒的な強さを発揮する。

 「ラジアル・レーシングタイヤの基礎研究」として、F1タイヤの実験を非公式に始める。
■1982年 グループCカーレース「WECイン・ジャパン」開催。
 翌年から全日本シリーズとして開催されることになり、ブリヂストンはトムスに供給。
 しかしラジアルに問題が生じ、バイアスに戻す。ラジアルの再投入は86年。
 参戦2年目のヨーロッパF2選手権。この年から参戦してきたミシュランに惨敗してしまう。
 翌年には、ラルト・ホンダがミシュランへ移籍してしまう。
■1985年 トムスとともに、ル・マン24時間レースに参戦。
 ヨーロッパF2が、ヨーロッパF3000に。ラルト、マーチにタイヤ供給を継続。
 ヨーロッパF3000シリーズ初代チャンピオンとなるが、翌年から同シリーズが他社ワンメイクとなったため、ブリヂストンはヨーロッパのレースから撤退する。
■80年代後半 87年に中嶋悟がF1へ旅立つと、鈴木亜久里、片山右京などブリヂストンタイヤとともに国内レースでタイトルを獲得したドライバーたちがF1へとステップアップしていった。
■1989年 F1タイヤの公式テストを開始する。
(無限ホンダのF1エンジンテストへの供給)
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1990
年代

■1991年 ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)を戦うメルセデス・ベンツ(AMG)にタイヤ供給を開始。
 参戦初年度でメーカー・タイトルを獲得する。

 以後、国際ツーリングカー選手権(ITC)、FIA GT選手権でメルセデス・ベンツ(AMG)へのタイヤ供給を続ける。
■1992年 ファイアストン・ブランドでもインディ500参戦プロジェクトが立ち上がる。
■1993年 89年から続けていたF1タイヤテストが終了。走行距離は2万キロを越えた。
■1995年 インディ・シリーズへの参戦を開始。デビュー戦は4位。
 インディ500初挑戦で、レース終盤まで1-2体制という速さを披露する。
■1995年 F1参戦に向け、"ローズ・プロジェクト"が動き出す。
 TWRのトム・ウォーキンショーに協力を要請する。
■1996年 インディ500を初制覇。
■1996年 1998年からのF1参戦を正式決定。

 6月6日、鈴鹿サーキットにて、F1タイヤテストを開始。
 ドライバーは鈴木亜久里、クルマは無限エンジン搭載のリジェ(型落ち)。

 6月24日、ヨーロッパのサーキットでのテストを開始。
 クルマはアロウズ・ハート。ドライバーは、ヨス・フェルスタッペンなど。3ヶ月で約8000kmを走行。

 10月9日、当初の予定を繰り上げ、1997年からF1に参戦することを発表する。
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1997

■参戦1戦目にして、ブリヂストン装着車が5位初入賞。
(第1戦オーストラリアGP O.パニス選手/プロスト)
■ブリヂストン装着車が参戦2戦目にして3位初表彰台獲得。
(第2戦ブラジルGP O.パニス選手/プロスト)
■ブリヂストン装着車が雨のモナコGPで2位表彰台&4位入賞を飾る。
(第5戦モナコGP R.バリチェロ選手/スチュワート O.パニス選手/プロスト)
■第6戦のスペインでブリヂストン装着車が2位表彰台を獲得。
(第6戦スペインGP O.パニス選手/プロスト)
■ブリヂストン装着車でヤマハエンジンのアロウズが、予選3番手を獲得。
 レースでも終盤までトップを走り、最終的には2位表彰台を獲得する。
(第11戦ハンガリーGP D.ヒル選手/アロウズ)
■1997年末、グッドイヤーが98年をもってF1から撤退することを発表。
■1997年のレギュレーション
■1997年のタイヤの方向性
・ピットストップの回数を減らせる、高い耐久性を追求
■1997年 ブリヂストン装着マシン
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1998

■グルーブド(溝付き)タイヤ導入。
(溝:フロント3本、リア4本)
■前年チームに加え、マクラーレン、ベネトンへ供給。
■ブリヂストン装着車が、初ポールポジション初優勝を飾る。
(第1戦オーストラリアGP M.ハッキネン選手/マクラーレン)
■ブリヂストン装着車が、日本GPで優勝を飾る。
(第16戦日本GP M.ハッキネン選手/マクラーレン)
■日本GPでの勝利によりブリヂストン装着車が、初めてシリーズタイトルを獲得する。
 ドライバーズタイトル(M.ハッキネン選手/マクラーレン)、
 コンストラクターズタイトル(マクラーレン)。
■1998年をもって、グッドイヤーがF1から撤退。
■1998年のレギュレーション
■1998年のタイヤの方向性
・フロントタイヤのワイド化、大径化によりグリップと耐久性を向上
■1998年 ブリヂストン装着マシン
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1999

■F1はブリヂストンのワンメイクに。
■規則が変更され、フロントタイヤの溝が3本から4本に増える。
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.ハッキネン選手/マクラーレン)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
 フェラーリにとって16年ぶりのコンストラクターズタイトル獲得となる。
■1999年のレギュレーション
■1999年のタイヤの方向性
・溝の本数を増やして、以前よりもラップタイムを抑えたタイヤにする
■1999年 ブリヂストン装着マシン
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2000

■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.シューマッハ選手/フェラーリ)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■ミシュランが2001年からのF1参戦を表明。
■翌年からのミシュラン参戦を控え、シーズン中のテストでは2001年規則に合わせたタイヤの開発テストも行われるようになる。
■2000年のレギュレーション
■2000年のタイヤの方向性
・ミシュランのF1復帰を見据えて、翌年のタイヤ開発を先取り
■2000年 ブリヂストン装着マシン
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2001

■ミシュランの参戦により、タイヤ供給はフェラーリ、マクラーレン、ザウバー、ジョーダン、BAR、アロウズ、ミナルディの7チームに。
■第5戦スペインGPで50回目のポールポジション獲得。(M.シューマッハ選手/フェラーリ)
■ブリヂストンにとって76戦目となる第10戦フランスGPでF1参戦50勝目を達成。
(M.シューマッハ選手/フェラーリ)
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.シューマッハ選手/フェラーリ)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2001年のレギュレーション
■2001年のタイヤの方向性
・ライバルに比べて「ハンドリング重視」のタイヤに
■2001年 ブリヂストン装着マシン
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2002

■供給チームは、フェラーリ、ザウバー、BAR、ジョーダン、アロウズ。
■ブリヂストンにとっては、98年以来となる日本人ドライバー佐藤琢磨選手(ジョーダン)を陣営に迎える。
■ブリヂストン装着車がF1史上最速記録となる第11戦フランスGP時点でドライバーズタイトルを獲得。
(M.シューマッハ選手/フェラーリ)
■第17戦日本GPで、F1参戦100戦目達成。
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.シューマッハ選手/フェラーリ)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2002年のレギュレーション
■2002年のタイヤの方向性
・タイヤテスト専用のチームを結成してタイヤ開発のスピードを向上
■2002年 ブリヂストン装着マシン
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2003

■供給チームは、フェラーリ、ザウバー、BAR、ジョーダン、ミナルディ。
■予選方式が、2日制1ラップ方式となる。
■ブリヂストン陣営であるBARから、佐藤琢磨選手が日本GPにスポット参戦。
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.シューマッハ選手/フェラーリ)、
 コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2003年のレギュレーション
■2003年のタイヤの方向性
・路面への追従性よりも「踏ん張り」を重視した新たなアプローチ
■2003年 ブリヂストン装着マシン
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2004

■供給チームは、フェラーリ、ザウバー、ジョーダン、ミナルディ。
■予選が土曜1日制1ラップ×2方式となる。
■ウエットタイヤを2種類用意できるようになる。(ただし荒天用は主催者の許可が必要)
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(M.シューマッハ選手/フェラーリ)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2004年のレギュレーション
■2004年のタイヤの方向性
・ソフトコンパウンドをやさしく扱える構造・形状の開発
■2004年 ブリヂストン装着マシン
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2005

■供給チームは、フェラーリ、ジョーダン、ミナルディ。
■予選・決勝レースで使用可能なタイヤを1セットに制限。(タイヤ交換の原則禁止)
■第9戦アメリカGPでは、ミシュラン勢が安全性への懸念からレースをスタートせず。
 ブリヂストン装着の6台だけでレースが行われ、全車ノートラブルで完走。
■2005年末、ミシュランが06年をもってF1から撤退することを発表。
■2005年のレギュレーション
■2005年のタイヤの方向性
・レース距離のロング化を受け、安全性・耐久性を重視
■2005年 ブリヂストン装着マシン
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2006

■供給チームは、フェラーリ、ウィリアムズ、トヨタ、スーパーアグリ、ミッドランド。
■タイヤ交換の復活。
 ただし、グランプリ期間中に1人のドライバーが使用できるドライタイヤは7セットまで。
■予選がノックアウト方式に。
■ブリヂストン・タイヤを装着し、日本製エンジン(ホンダ)を使用し、日本人ドライバー(佐藤琢磨選手、井出有治選手)を起用した、オールジャパン・チーム「スーパーアグリF1チーム」がF1に参戦を開始する。
■第12戦ドイツGPでF1参戦100勝目を達成。(M.シューマッハ選手/フェラーリ)
■2005年3月にブリヂストンがFIAと共同で開始した「Think Before You Drive」キャンペーンをF1に活用する。
■2006年のレギュレーション
■2006年のタイヤの方向性
・レースで従来より柔らかいコンパウンドを使用できる構造
■2006年 ブリヂストン装着マシン
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2007

■ミシュランの撤退により再びブリヂストンのワンメイクに。
■1台あたりが使用できるタイヤセットを14セットに拡大。
■ソフト・ハードの2種類のタイヤをレース中に使用することが義務付けられる。
 いずれかを見分けるために、溝の1本を白色に着色。
■第3戦バーレーンGPで100回目のポールポジション獲得。(F.マッサ選手/フェラーリ)
■第15戦日本GPが、30年ぶりとなる富士スピードウェイで開催される。
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(K.ライコネン選手/フェラーリ)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2007年のレギュレーション
■2007年のタイヤの方向性
・ワンメイク化にあたり、サイズを変えずにグリップを低下
■2007年 ブリヂストン装着マシン
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2008

■第1戦オーストラリアGPから、ブリヂストンとFIAによる環境啓発キャンペーン「MAKE CARS GREEN」の活用を開始。
■第12戦ヨーロッパGP(バレンシア)でF1参戦200戦達成。
■第15戦シンガポールGPが、F1史上初のナイトレースとして開催。
■ブリヂストン装着車がドライバーズタイトル(L.ハミルトン選手/マクラーレン)、コンストラクターズタイトル(フェラーリ)を獲得。
■2008年のレギュレーション
■2008年のタイヤの方向性
・タイヤに厳しいコーナーでの信頼性をさらに向上
■2008年 ブリヂストン装着マシン
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2009

■スリックタイヤの復活。
■レース中に2スペックのタイヤ使用の義務付けは変らず。
 タイヤ側面にスペックの違いを見分けるための緑色のラインが引かれる。
■ブリヂストンにとって217戦目となる第11戦ヨーロッパGPでF1参戦150勝を達成。
(R.バリチェロ選手/ブラウンGP)
■小林可夢偉選手が日本GPのフリー走行に出走。
 ブラジルGP、アブダビGPに参戦。
■ブリヂストン装着車が、ドライバーズタイトル(J.バトン選手/ブラウンGP)、コンストラクターズタイトル(ブラウンGP)を獲得。
■11月2日、公式タイヤサプライヤー契約が2010年をもって満了することをもってひとつの区切りとし、新規契約を結ばないことを発表。
■2009年のレギュレーション
■2009年のタイヤの方向性
・低温用と高温用、2つの方向性のスペックで路面とタイヤの関係を探る
■2009年 ブリヂストン装着マシン
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2010

■レース中の給油が禁止される。
■ポイントシステムが変更され、10位までにポイントが与えられるようになる。
■ロータス、HRT、ヴァージンの3チームがF1に参入。
■ブラウンGPに代わり、メルセデスGPが参戦を開始。
■小林可夢偉選手が、BMWザウバーからレギュラードライバーとしてデビュー。
■霊岩の韓国インターナショナルサーキットにて、韓国GPを初開催。
■ブリヂストン装着車が、ドライバーズタイトル(S.ベッテル選手/レッドブル)、コンストラクターズタイトル(レッドブル)を獲得。
■2010年のレギュレーション
■2010年のタイヤの方向性
・前年よりもフロントタイヤを幅狭化し、グリップバランスを最適化
■2010年 ブリヂストン装着マシン
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年 ブリヂストンF1チャレンジの軌跡 エピソード レギュレーション・歴代タイヤ&マシン