奇数年は苦戦し、偶数年は強い......浜島が語るジンクスそのままに、2004年は圧倒的な強さでシーズンを席巻した。
全18戦中、ブリヂストンは15勝。ミハエル・シューマッハは早くも第14戦ベルギーGPでドライバーズタイトルを獲得してしまう。
圧倒的な強さを見せたフェラーリとブリヂストン
予想外に苦しんだ2003年シーズン。しかし、その後半になると2004年シーズンを力強く戦うための準備が整えられていく。例えばそれはフェラーリの地元イタリアGP前に行われた、2000本ものタイヤを持ち込んだテストで見つけた、新しいコンセプトのタイヤだった。さらに03年シーズンの結果を冷静に分析、ブリヂストンの得意・不得意を知ることで課題を明快にし、それをスタッフ全員で共有するという、徹底的な"一致団結"開発体制がとられた。
では、苦手な部分とはなんだったのか。それはスムーズな路面と低速コーナーの組み合わせ......つまり、ソフトコンパウンドが得意とする状況である。この分析結果を受け、熱に強いソフトコンパウンドの開発が進められていった。
またタイヤの形状自体にも変化があった。ミシュランとブリヂストンのフロントタイヤ形状を比較した場合、それまではミシュランがスクエア形状、ブリヂストンはラウンドショルダー形状という特徴があった。しかし、この年のブリヂストンのフロントタイヤを前方から見ると、スクエア形状に寄ってきてる。強力な制動力と素早い回頭性を伝達できるようにすること......それが最大の目的だった。
一方、ミシュランのフロントタイヤ形状も次第にラウンドショルダー形状に近づいていく。それは、「最終的に、両者のタイヤはとてもよく似た形状になったんですよね。夕陽に照らされてシルエットになっていると、見分けがつかないくらいでした」と浜島も苦笑するほどだった。
ブリヂストンの変化に対応するため、フェラーリの側もマシンに手を入れた。フェラーリ史上に残る名車と言われるF2004は、前年は後ろ寄りにあった重量配分を、前寄りにしたもの。これはつまりブリヂストンの新しいフロントタイヤ形状に歩調を合わせたものだ。
このブリヂストンとフェラーリのコンビネーションは強力であった。シューマッハは開幕5連勝を飾ると、モナコこそミシュランに取られるも、その後ヨーロッパGPからは7連勝。2002年を彷彿とさせる圧倒的な強さで、第13戦ハンガリーGPでフェラーリがコンストラクターズタイトルを、続く第14戦ベルギーGPでミハエル・シューマッハがドライバーズタイトルを獲得するのである。
強さの陰に、翌シーズンへの課題が隠れていた
圧倒的な強さで、コンストラクターズタイトルを第13戦ハンガリーで、ドライバーズタイトルを第14戦ベルギーで獲得したフェラーリ&ミハエル・シューマッハ&ブリヂストン。しかし、そのベルギーGPでシューマッハが優勝できなかったところに、不調に見舞われる翌年の傾向が出ていたと浜島は振り返る。
「後になって考えればということなんですが、シーズン後半に向けて、2005年の兆候が出てきているんですよね。例えばミハエルがタイトルを決めたベルギーで優勝できなかったこと。そのときの勝者は、ミシュランを履くマクラーレンのライコネン。そのことが、すごく僕の頭に残っているのです」(浜島)
この年もタイトルが決まった後も、フェラーリの勝利への飽くなき欲望は衰えることはなかった。目指すはあくまで「全戦全勝」。だから、なかなか2005年の準備に取り掛かることができない。さらにシーズン半ば以降、ミシュランの巻き返しが激しくなっていったことも、その傾向に拍車をかけた。フェラーリ&ブリヂストンの圧倒的な強さに翳りが見え始め、結局シーズン終盤まで、目の前の戦いのための開発を続けることになってしまったのだ。
「2005年の準備に入れないまま、時間ばかりが過ぎていきました。そこに、大きな落とし穴が潜んでいたのです......」(浜島)
コースの外でも戦っていたのです
「スペックの読みあい合戦とか......いろいろやりあいましたよ、ミシュランとは」
ライバルとのコンペティションの表舞台がサーキットのコース上だとしたら、パドックはその舞台裏。実はそこでも激しい戦いが行われていた。当時、マネージャーとしてその戦いの最前線にいた菅沼が、「今だから笑って話せますが......」と断りながら、当時の両者の"情報戦"を教えてくれた。有名なのは、フロントタイヤのトレッド幅に関する疑惑だ。
「2003年のことですが、レース後のミシュランのタイヤを見ると、ウチのより接地面の幅が広いんじゃないか、という疑惑が持ち上がるんです。そこで僕らも写真を撮ったりするんだけど、どうもうまくいかない。だからカメラマンの人にお願いして正面から撮ってもらい、その写真をもとに計測するんです。すると、やっぱり広いんじゃないか、と。どうやら、新品のときはレギュレーションの範囲内に収まっているんだけど、走っているうちに広がるらしいんですね。その当時、FIAはレース前にはサイズを確認していましたが、レース後は特にチェックしていなかった。そこにこのような疑惑が出てきたものだから、シーズン途中から"レース後にも測定する"となったんです」
そのほかにも、例えばスペック読み合戦のようなことがあったのだという。レースに使用されるタイヤには、レギュレーションとしてFIAから支給されるバーコードを付け、メーカーがつける刻印がなければならなかった。この刻印を記録しておき、レースから得られるデータと照合するなどして、刻印の意味を読んだりしたのだという。
「何桁目に書かれているアルファベットが、スペックを意味している、とかね。ただそうするとさすがに敵も工夫してきて、その刻印を小さくしたりしていましたね」
今になって話を聞いていると、子どものケンカのように聞こえるかもしれないが、「当時は真剣そのもの」であったことに変わりはない。
勝つためにはなんでもしなくては! ......ブリヂストンはもちろん、F1を戦う者たちの勝利へのこだわりが伝わってくる、エピソードだ。