ワンメイク3年目となった2009年シーズンのトピックス。
その一つは、1997年以来の登場となるスリックタイヤ。次にブラウンGPの快進撃。
そして最後は、シーズン終了直後に翌2010年シーズンをもってブリヂストンがF1から撤退すると発表されたことであった。
12年ぶりに復活した
スリックタイヤがもたらしたもの
「クルマのダウンフォースを半減させる。それにより失われるグリップをカバーするために、タイヤはスリックタイヤにしたい」
それは2009年シーズンのタイヤレギュレーションとしてFIAがブリヂストンに提示したことであった。グルーブドタイヤからスリックタイヤへの変更。それは技術的には、それほど大きな問題とはならなかったと浜島はいう。
「スリック化は、要は我々が98年に経験したスリックからグルーブドタイヤへの変更の逆をやるということでしからね。まったく新しいチャレンジということではなかった。それにGP2にひと足早くスリックタイヤを供給していたこともありましたから。それを参考にしながら開発を進めました」
しかし、それでもスリックタイヤの開発段階で、ひとつの問題が発生する。タイヤサイズを2008年シーズンと同じままにすると、どうしてもフロントタイヤのグリップが強くなってしまうという見解が、ブリヂストンの技術サイドから出てくるのだ。
ブリヂストンがF1タイヤの供給を始めて2年目となる1998年──スリックタイヤからグルーブドタイヤに変更された年にも、ブリヂストンはフロントタイヤの大径化を訴えていた。当時マクラーレンに在籍していた"空力の天才"エイドリアン・ニューウェイは、「すでにクルマのデザインは終わっているから、フロントタイヤの大径化は受け入れられない」と反発した。しかし、ブリヂストンは実際のパフォーマンスでそれを説得したという事実があった。今回は、そのまったく逆の話なのだから、ブリヂストンがフロントタイヤのサイズを変えたい、というのも理解しやすい。
しかし、チームの見解は、"すでに2009年用マシンのデザインは決定している。よってタイヤのサイズは変更しないでほしい"というものだった。
98年当時と違ったのは、当時はグッドイヤーとのコンペティションがあったのに対し、今回はブリヂストンのワンメイクであったことだ。浜島も「みんながいいなら、いいですよ(笑)」と言うしかなかったという。
それではグルーブドタイヤからスリックタイヤに移行するに際し、具体的にどんな変更が施されたのか。そのひとつにコンパウンドが挙げられる。グルーブドタイヤで使っていたものをそのまま使うとゴムが堅すぎるため、ある程度は柔らかいゴムを使わざるを得なかった。
またブリヂストンが用意した4種類のスペックについては、その中身を変更することにした。これはブリヂストンが、タイヤについての理解をより深めるための施策だ。
用意された4種類のスペックとは、スーパーソフト、ソフト、ミディアム、ハード。名称こそ2008年と同じだが、そのワーキングレンジ(作動領域)は変更されている。具体的には、ワーキングレンジを大きく2つに分け、その中から2種類を選択してレースに投入していったのだ。
「前年とは考え方を変えて、低いワーキングレンジから高いワーキングレンジのものまで、2種類を用意しようよ、と。そうすることでコンパウンドがどのように作動していくかということを勉強できるし、それをベースに将来に向けた技術の開発もできるわけです」
そう語る浜島は、「各レースに投入したコンパウンドが、どういう働きをするのか......低いワーキングレンジと高いワーキングレンジでは何が違うのか......そういう重要な勉強が存分にできました」と続けた。
シーズン中のテスト禁止がもたらした、
シミュレーション技術の向上
2009年シーズンのレギュレーションの大きな変化のひとつに、シーズン中のテスト禁止が挙げられる。そのためにブリヂストンが優先したのは安全に対する考え方を徹底したことであった。では具体的には何を行ったのか? それはチームとの協力関係の強化にほかならない。
「レースに際し、チームから事前にシミュレーションによるタイヤへの入力データを提供してもらい、そして実際のレースではタイヤに対してどんな入力があったか......そのデータを提供してもらいました。そして、そのデータに対して我々のタイヤのパフォーマンスはどうだったか、という検証を行うわけです」
ここで言うパフォーマンスとは、主に耐久性だ。100キロ走ったとき、200キロ走ったとき、そして300キロ走ったとき......それぞれの場合でタイヤが事前にどうなるのかということを推測し、レース後にそれを検証していく。そして例えばコース特性やドライバーのドライビングスタイルなどの影響により、耐久性が十分ではないかもしれないという結果が事前に出たときには、「より踏み込んだタイヤの使い方を提案し始めた」と浜島は言う。
「走行距離を短くしてもらうかもしれません」
もちろんこれは、安全性の確保を最優先するブリヂストンだからこそ、出てきた言葉だ。
「例えば一方のスペックを長く使い、他方のスペックは短くしたいという戦略の幅がチームにあったとします。そういう戦略の可能性がある中で、われわれはどうやってタイヤの安全性を担保していくか......そういった課題により精度よく対処できたのが、この2009年以降ということです。レースをやる前に、こういう使い方をすると危ないですよ......例えばネガティブキャンバーはそれ以上にしないでくださいとか、タイヤの内圧はいくつ以上で使ってくださいとか......そのようなことをシミュレーションで確立し、さらに実車との相関性を見ながらチームに対して、"このサーキットではこういうシミュレーション結果が出ているから、我々の提示したとおりに使ってください"と提案できるようになったのです」
これはシミュレーションの精度はもちろん、その結果として得られるデータの精度が上がったことを意味する。シーズン中のテストができない......だからこそシミュレーションのデータと、レース毎のデータの相関性を検証し、次のレースに結びつけていく作業が、非常に重要になっていったわけだ。
テスト禁止で浮き彫りとなったドライバーの役割
シーズン中のテストが禁止されたことで、クローズアップされたシミュレーション技術。しかしそのデータを使うのは当然のごとく人間である。だから、実際にクルマをドライブするドライバーのインプレッションが、シミュレーションで得たデータに、より現実味を与えるのだ。
「確かにドライバーは大きなファクターです。レース中に実車から収集するデータというのは、膨大な量と種類があります。例えば荷重のデータとか、横Gがどれくらい出ているかというデータなどなど......。しかし、そのデータだけでは十分じゃない。裏づけがほしいんです。では、何が裏づけとなるかというと、それこそドライバーが感じているフィーリングです。例えばあるドライバーが、"2コーナーの出口で、データに出ているように横Gを強く感じます"と言ったとします。すると僕たちは、そこに注目して考えるわけです。そしてシミュレーターがはじき出した答えと、ドライバーが実際に感じたものを付け合せ、検証していく。だからドライバーが感じたフィーリングがどのくらい正確であったかが、とても重要になってきます。我々にとってのグッドドライバーとは、それを正確にフィードバックできるドライバーであると言えるかもしれません」
そんなグッドドライバーとは誰か?2000年から5連覇を達成したミハエル・シューマッハ。そのシューマッハを破りタイトルを獲得したフェルナンド・アロンソ。そして2010年、史上最年少チャンピオンに輝いたセバスチャン・ベッテルの名が、浜島から挙がった。
「わからないことをわからないとちゃんと言える。そしてドライブしていて感じたことが、路面の違いから来ているのか、クルマの違いによるものなのか、それともタイヤの違いなのかを身体の中で層別でき、かつ的確に言葉にして伝えることができる......彼らはそれができるドライバーなのです」
ブラウンGPの台頭と強豪チームの底力
2009年シーズンを席巻したのは、フェラーリやマクラーレンといった名門・古豪ではなく、なんと新規参戦チームであるブラウンGPであった。
ブラウンGPとは、90年代後半から2006年まで、ミハエル・シューマッハ、ジャン・トッド代表とともに、テクニカルディレクターとしてフェラーリの黄金時代を築いた、ロス・ブラウンが率いたチーム。ブラウンは、シューマッハ選手の引退とともに長期休暇に入ったが、2007年シーズンオフにホンダF1のチーム代表に就任する。ところがそのホンダが2008年シーズンを持ってF1を撤退。そこでブラウン自らがチームの経営権を引き継ぎ、急きょF1に参戦することになったのだ。チーム体制がなんとか整い、開幕前テストに参加できたのが3月に入ってからだったブラウンGP。それにも関わらず、彼らのマシンは好タイムを連発した。それについて浜島は、「アンダーウエイト(実際よりも軽い重量)で走っている可能性がある」と考えていたという。
しかし実際にシーズンが始まって見ると、ブラウンGPは他を寄せ付けないスピードを披露。ジェンソン・バトンが、シーズン序盤7戦で6勝を挙げて見せるのである。
「ブラウンGPのクルマは、元々アンダーステア傾向にあったんです。実際、前年シーズン終了後、ツインリンクもてぎでホンダのF1マシンにスリックタイヤを履いて走ったことがありました。そのときからジェンソン・バトン選手は好感触を持っていましたからね。ブラウンGPのマシンも、スリックタイヤ化によるオーバーステアと、うまくマッチングできたのだと思います」
もちろん、他チームに先駆けて導入された"ダブルディフューザー"が功を奏したことも言うまでもないし、シーズン中のテストが禁止されたことも、ブラウンGPにとっては有利に働いた。
しかしそんなブラウンGPの台頭を、ライバルたちも黙って見ていたわけではない。浜島も、「テストがなくなる中で、どのチームが挽回してくるのかということに注目していた」という。その筆頭と言えたのがマクラーレンだ。「レギュレーションの変更を考慮し、シミュレーションによる開発体制をきちんと整理してきたチーム」だという。
「マクラーレンは室内試験でトライ&エラーを繰り返し、それを実車でよく検証していました。だからシーズンが進むにつれ、室内試験を元に作ったものを実車に採用したときにきちんと当たる......つまりサーキットに対して、効果のある開発パーツを持ってくることができるようになったわけです。そういうメソドロジー(方法論)が確立できたのが、マクラーレンだったんじゃないかと思います」
コンピュータのシミュレーションには絶対に答えが出る。入力する数値を0.5変えれば、それに応じた答えは出るし、逆に理想とする答えを導き出すための数値を割り出すこともできるからだ。しかし実際にサーキットを走らせたとき、その答えの通りになるかというと、それはまったく別の話。それでも勝利のためには、シミュレーションと実車のデータを合わせ、精度の高い開発をしていかなければならない。そして、そういうことに時間と資金をかけられるのは、やはり限られたトップチームということになるのだ。
そうしてマクラーレンを始め、フェラーリやレッドブルといったチームがシーズン終盤に向けて調子を上げていく。しかし、シーズン序盤にブラウンGPが築いたマージンを脅かすことはできなかった。結局はシーズン序盤に6勝を挙げ、それ以降も地道にポイントを獲得し続けたバトンがチャンピオンに。そしてブラウンGPがコンストラクターズタイトルを獲得するのである。
シーズン終了後に発表されたブリヂストンの決断
2008年9月、アメリカの名門投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻したことが引き金となった世界的な金融危機は、確実にF1にも影響を及ぼしていた。その年のシーズン終了とほぼ同時に発表されたホンダの撤退。2009年7月に発表されたBMWの撤退。......それはブリヂストンにとっても例外ではなかった。
2009年シーズン終了直後の11月2日。ついにその日がやってくる。ブリヂストンが、翌2010年の契約満了後は新規契約を結ばないと発表するのだ。
ブリヂストンはその理由を、経営資源を再配分し、革新的技術の開発などに資源を集中することであるとしている。
その発表から、わずか2日後の11月4日。今度はトヨタが今シーズンを持ってF1から撤退することを突然に発表。ホンダ、トヨタ、ブリヂストンと、F1で戦う日本企業を失うことになるのである。