フォーミュラ 1

決戦の日本グランプリ、
参戦2年目にして頂点へ
 1998年11月1日。51周を走り終えてカーナンバー8、ウエスト・マクラーレン・メルセデスのマシンが最初にチェッカーフラッグをかいくぐった。満員のメインスタンドの観客は総立ち。そしてピットウォールではスタッフがチームフラッグを振りながら歓喜と興奮を体いっぱいに表現していた。そのとき、ケケ・ロズベルグ選手以来のフィンランド人F1チャンピオン、ミカ・ハッキネン選手とともに挑戦2年目にしてブリヂストンが世界の最高峰に立った。
 南半球のオーストラリア・グランプリからスタートしたシーズンの序盤にマクラーレンは快調な滑り出しを見せた。モータースポーツの最高峰、F1グランプリに参戦を開始してから2年目、ブリヂストンはマクラーレンにタイヤ供給を開始した。F1界を引っ張ってきたトップクラスのチームのひとつと手を組んだことで、開幕戦で記念すべき初ポールポジションと初勝利を記録した。シリーズ参戦わずか2シーズン目にトップチームとパートナーシップを得られたのは、その技術力をチームが評価してくれたことでもあった。
 マクラーレンは1991年以来コンストラクターズチャンピオンの座から遠ざかっていた。彼らはブリヂストンと組むことで再び栄光の座へ返り咲こうとしていたのだ。挑戦1年目には、トップチームのパートナーとなることなど不可能に

等しかった。しかし、そのパフォーマンスを関係者は見逃すはずはなく、マクラーレンはブリヂストンのパフォーマンスを王座奪回への武器にしてくれたのだ。
 念願のトップクラスのチームと組めたという喜びは、同時に勝利へのハイレベルな要求が矢継ぎ早に突きつけられることを意味していた。1998年シーズンからは溝付きタイヤのレギュレーションが導入され、タイヤエンジニアにとっては新たな課題をクリアしなくてはならなかった。しかしその課題に対してもシーズン突入前のテストからブリヂストンタイヤユーザーは好タイムをマークして好調なところを見せていた。
チャンピオン争いはミカ・ハッキネン選手/ブリヂストンとミハエル・シューマッハ選手/グッドイヤーの二人に絞られ、そして迎えた最終戦の日本グランプリだった。シーズン中盤戦からの驚異的な挽回によって4ポイント差で2位につけて鈴鹿に乗り込んできたシューマッハ選手は、是が非でも勝利が欲しかった。そして見事に予選でポールポジションを獲得、ハッキネン選手がそれに続いた。ハッキネン選手のチームメイトであるデビッド・クルサード選手が3番手、そしてシューマッハ選手のチームメイトのエディ・アーバイン選手が4番手。予選の上位グリッドもまさにマクラーレンとフェラーリ、ブリヂストンとグッドイヤーの闘いを如実に表していた。
 決勝レースはいきなり思いもよらぬ出来事から始まった。プロストのヤルノ・トゥルーリ選手

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