キットは、シルバーストン、マニクール、バルセロナ、イモラ、モンツァ、エストリル、ニュルブルクリンク、そして鈴鹿だ。テストを担当したドライバーは、鈴木亜久里選手、デビッド・ブラバム選手、ヨス・フェルスタッペン選手、デイモン・ヒル選手、リカルド・ロセット選手の5名。
テストは予想以上に順調に進んだ。テストを消化するにつれて誰もが確実な手応えを感じていたのだ。これを見て首脳陣は大胆な決定を下してきた。それは1998年から参戦を予定していた計画を何と1年早めて1997年から参戦するというものだった。しかしながらそれは無理難題を言い渡されたわけではなく、現場から報告されたことに基づき自信を持って判断されたものだった。早速タイヤのプロダクションキャパシティー、ロジスティック、そしてサービス体制を確立し、いよいよブリヂストンが世界の檜舞台へ出て行くこととなった。
1996年末にイギリス・ハイウィッカムにF1前線基地として、事務所兼タイヤ倉庫機能を持ったモータースポーツ英国支店を設立。サービス部隊の編成強化、人材採用も迅速に行われていっ
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た。サービス部隊のチーフにはヨーロッパF2、F3000時代に活躍したピーター・ジェリンスキーを起用した。
全世界に放映されているF1テレビ中継での露出効果を狙い、「BRIDGESTONE」のロゴをペイントした看板を全サーキット各所に配する契約を主催団体との間で結んだ。これは、その後のヨーロッパにおけるブリヂストンの知名度向上に大きく貢献することとなる。
また、F1参戦にあたり、チャレンジ精神に満ちたイメージをアピールするために「BRIDGESTONE
Motorsport」のロゴも変更した。
成果多き参戦1年目、初戦でポイントゲット
1997年はプロスト、アロウズ、スチュワート、ミナルディの4チーム(ローラと契約するも1戦で撤退)とタイヤの供給契約を結んだ。
3月9日。日本とは正反対の真夏のオーストラリア、メルボルン。アルバートパークでブリヂストンのF1グランプリの第一歩が記された。その初陣でプロストチームのオリビエ・パニス選手が安定した走行でいきなり5位に入賞、2ポイントを獲得したのだった。
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