国内、鈴鹿サーキットで行われた走行テストは、リジェ/無限のマシンを用いて行われた。一台のマシンで複数のドライバーが開発に協力して、貴重なデータが蓄積されていった。(中)はデイモン・ヒル。(右)は、鈴木亜久里。

本社で行われたF1参戦発表会。参戦に関して会見する技術統括の原田忠和副社長。その傍らに立つのは、TWRのトム・ウォーキンショー代表。

キンショー率いるチームだった。彼はオーストラリアのツーリングカーレースでブリヂストンとは馴染みがあった。F1においてブリヂストンと組むメリットをそのときすでに判っていたのだ。1994年で一端終了していたテストが、今度は「参戦」という具体的なターゲットを目指して1996年6月から開始された。
 リジェ/無限とアロウズ/ハートのマシンを用いて日本、ヨーロッパのサーキットで実戦を想定したテストが始まった。サーキット毎にどのようなタイヤを持ち込むかは、1990年から2

年間行ったフォーミュラカー用タイヤの基礎技術を見直した際のシミュレーションが大いに役立った。年間のレース数を17戦に設定して、シミュレーションによってサーキット毎にタイヤのコンパウンドのポジションなどを決定していった。4種類のタイヤ構造、5種類のコンパウンドを組み合わせて、1日に300~500キロの走行を行い、3日間で消化できるプログラムを立ててテストは行われた。
 1996年のテストは、6月から9月までの3ヶ月間で9回、約8000キロを走行した。訪れたサー

「技術の闘い」といわれるレース。その頂点にあるF1は、世界中にその存在をアピールする絶好の場だった。世界数十億の人々にブリヂストンの存在を示したロゴマーク。

BRIDGESTONE MOTORSPORT