ツーリングカー/GT

4ドアセダンによる熾烈な争い
 イギリスツーリングカー選手権(BTCC)で人気が高まった2000ccまでの4ドアセダンによって闘われる選手権レースは日本でも1994年にスタートした。マシンの外観は量産市販車のそれと同じでなくてはならず、その他にも厳しい車両規定があり、マシンの性能差はごく少ない。それ故に激しくもコンペティティブなレースが毎戦展開された。量産市販車をベースにして争われるこのカテゴリーは、タイヤメーカーにとってはとても苦労の多いものだ。まず、タイヤ本体のボリュームがレギュレーションによって他のカテゴリーに比べて少ないことが挙げられる。端的に言って、タイヤが細いのだ。そうなると単位面積あたりの負荷が大きくなってタイヤは苦労させられる。そして、近年の量産市販車の多くはフロント・エンジン/フロント・ドライブであるために、フロントタイヤは、重いエンジンを支え、駆動し、なおかつ転舵しなくてはならない。言うなれば「三重苦」であるわけだ。
 1イベントで2レースを行うこのカテゴリーでは、予選で使ったタイヤで第1レースに臨まなくてはならない。第2レースは、フレッシュタイヤを装着できるレギュレーションであった。タイヤ開発の主眼におかれたのは、その状況下で性能の落ち込みを最小限にとどめることだった。
 タイヤの性能において特に厳しいこのカテゴリーには、ブリヂストンを始めとする日本の各タイヤメーカー、ヨコハマ、ダンロップ、トーヨー

の他に、ミシュランも参戦してきた。ミシュランはこのレースから日本のレースに本格的に参戦することとなる。ミシュランはブリヂストンにとって、ヨーロッパにおけるDTM、ITCでの最大のライバルでもあり、この日本のツーリングカーでの闘いは、ヨーロッパでの闘い同様、厳しい状況下のタイヤの技術競争をより激しくすることとなったのだ。スプリントレースといえども、速さの追求だけではない。ミシュランとの闘いはおのずと開発のスピードを早め、スピードを向上させつつ、細いタイヤで耐久性を確保する技術は、困難を極めた。その厳しさゆえ、お互いタイヤトラブルに見舞われることもあったのは事実だ。
 1994年の初年度こそ、ブリヂストン装着の関谷正徳選手(トヨタ・コロナ)が辛くもチャンピオンを奪取したものの、ブリヂストンとミシュランとの今後の激しい闘いは容易に想像できる展開であった。
 1995年シーズンは、序盤戦でブリヂストン装着のトム・クリステンセン選手(トヨタ・エクシヴ)や関谷選手(トヨタ・エクシヴ)が連勝して好調な滑り出しに見えたが、ミシュラン装着のオペル・ベクトラを駆るアンソニー・リード選手、そしてBMW318iを駆るスティーブ・ソーパー選手、ヨアヒム・ウィンケルホック選手の両シュニッツァーチームのドライバーがこれに追随。特にBMWワークスのシュニッツァーチームは、シーズン終盤でタイヤをヨコハマから

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