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ADAC Qualifying Race (QFレース)

ニュルブルクリンク24時間耐久レースを4週間後に控えた4月15日、QFレースが行われた。ブリヂストンはTOYOTA GAZOO RacingのレクサスLCにタイヤを供給。本戦に向けて多くのデータを収集した。

 ニュルブルクリンク24時間耐久レース(通称:ニュル24時間)は、今年で46回目の開催を迎えるツーリングカーによる参加型耐久レース。かつては200台を超えるエントリー台数を集め、“世界一の草レース”と呼ばれていたが、現在では欧州メークをはじめとして、積極的な自動車メーカー系チーム参戦を背景に、世界でも有数のハイレベルな耐久レースとして人気を集めている。また、森の中のコースサイドには毎年20万人前後のファンが集まり、キャンプをしながらバーベキューなどで盛り上がるという、独特の雰囲気を持っているのもこのレースの大きな特徴だ。
ニュル24時間は1927年に設営された“ノルトシュライフェ(北周回路)”と呼ばれる1周20kmを超えるオールドコースと、数年前までF1も開催されていた近代的な1周5kmほどのGPコースをつなげた、1周25.378kmのコースで開催される。高低差300mという山岳コースは4〜6速ギヤを多用する高速コースであると同時にコース幅は狭く、うねった路面の続く難コース。その上、山岳地帯特有の不安定な天候により、コースの一部分だけで雨が降ることも。路面温度の変化も大きく、ドライバーやマシンだけでなく、タイヤにとっても極めて過酷な舞台と言える。このためドイツはもちろんのこと、世界の多くの自動車やタイヤメーカーが、このノルトシュライフェで新製品の開発テストを行っている。
  ブリヂストンにとってもニュルブルクリンクは、1980年代にPOTENZAの開発を行った思い入れの強いコースだ。当時パートナーを組んだポルシェの「ニュルでテストしなければ意味がない」という意向に応えて現地に滞在しスポーツタイヤの開発に勤しんだ日々が、人と技術を鍛え、今日のスポーツタイヤ開発の礎となったと言っても過言ではない。
 TOYOTA GAZOO Racingの「人を鍛える、クルマを鍛える」というテーマに共感し、パートナーとしてニュル24時間に参戦するのも、彼らと共に人と技術を鍛えていきたいとブリヂストンも望んでいるからである。
 例えば大きなピット棟を持つニュルブルクリンクも、ひとつのピットガレージを6台ほどでシェアせねばならず、トラブルなどが発生した際はピットの中は大混乱となる。また同じピットの車両が同時にピットインしてバッティングすることがないよう、他チームとの連携も欠かせない。レースでは綿密な計画が必要であるのはもちろん、同時に瞬時の判断が勝負を分けることもある。極限状態を経験してこそ、マシンもタイヤも、そしてスタッフも鍛えられ、成長する。

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今年TOYOTA GAZOO Racingは、市販車であるレクサスLC500をベースにして、次世代の車両につながる技術を開発していくため「レクサスLC」を選択。FIA-GT3車両のようなレーシングカーではなく、あくまでも市販車ベースだ。したがって参加するクラスも、主催者が特別に参加を認めたSP-PROクラスとなる。ドライバーは土屋武士、松井孝允、蒲生尚弥の3選手(本戦では中山雄一選手も合流)
QFレースに参加したのはトップクラスとなるSP9(FIA GT3)の20台を含む91台。レクサスLCの区分されるSP-PROクラスは1台のみの参戦だが、この週末のためにドライタイヤ3種類とレインタイヤ1種類を用意した。
 14日の夕刻に行われた予選1回目はドライコンディションで、車両のセッティングと路面温度が低めということもあり、本格的なタイムアタックは行わず総合24位。15日朝の予選2回目はウェットコンディションとなったため、予選1回目のタイムが予選タイムとなった。その後徐々に路面は乾いていき、予選上位30台が出走するトップ30予選には多くの車両がドライタイヤでスタート。TOYOTA GAZOO Racingは蒲生選手がレインタイヤで出走し23位とひとつ順位を上げた。
 15日12時にスタートした6時間レースでは、路面は完全なドライコンディション。レクサスLCはセッティングやタイヤの確認を重点的に行いながら総合18位で無事完走。多くのデータを収集した。ブリヂストンもミディアムの他、今回初めて走行したハード、EXハードのデータを集め、また予選2回目にはウェットコンディションでレインタイヤの確認もでき、本戦に向け新たなスペックのタイヤ投入の検討を行うことができた。

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ニュルブルクリンク24時間耐久レース

 今年で46回目となった世界最大級のツーリングカーレース、「ADACチューリッヒ24時間レース」が、ドイツ中西部、アイフェル山地のニュルブルクリンクにおいて、5月10〜13日に開催された。

 ドライバーは2016年のSUPER GT GT300クラスチャンピオンドライバーであり、昨年から監督を務めるベテラン土屋武士選手をまとめ役に、SUPER GT等で目覚ましい活躍を見せる松井孝允選手、蒲生尚弥選手、および中山雄一選手というカルテットとなった。土屋選手は「このチャレンジで大事なことは、4 人のドライバーでこのLCを最後のゴールまで運ぶということ。この24時間レースで次の技術開発のための実戦テストを行い、しっかりデータを取ることです」と説明。さらに「レース現場を経験したことのないメカニックが起用されて、早春の国内テストでは何もできなかったのに、今ではスプリング交換なども簡単にやってのける。彼らの成長を見るのが楽しいですね。目標に向かってチームが成長し、力をつけていくのが手に取るようにわかる。まるで90年代の市販車ベースの耐久レース、N1耐久を彷彿とさせとても良い雰囲気です」と語った。
 もちろんレースである以上戦いは厳しい。公式予選では最後の見せ場として上位30台によるトップ30予選が実施され、ここへの進出を狙って蒲生や松井が果敢にアタックしたが、アクシデントによりタイムアタックのタイミングを失うシーンもあった。残念ながら今年の予選結果は32位。トップ30予選には惜しくも進めなかった。
 またコースは天候不順な山間部にロケーションしており、レースウィークの4日間中ずっと天候が安定することはない。さらにコースが長いため、ノルトシュライフェの奥ではスコールに見舞われているのにグランプリコースはかんかん照りということもしばしばだ。タイヤサポート担当として昨年11月からこのプロジェクトに加わったブリヂストン MSタイヤ開発部の林通晴は、「天候や路面の変化、そしてドライバーのコメントに応じて、その都度、タイヤのスペックや走行時の使用条件を提案するという状況判断が求められ、これまで以上にとてもやりがいを感じます。ドイツ赴任の経験もあるので、こっちに帰って来たという感覚で懐かしさも覚えましたし、現地のドイツ人との業務も全く支障がありません」と、初の24時間レースへの帯同を語った。
 今年のレースも、木曜日の走り始めとなるフリー走行直前に弱い雨が降り、午後の予選1回目は気温も路面温度も一気に下がった。そうなるとタイヤの選択も難しくなる。気温に合わせたコンパウンド、雨量に合わせたレインタイヤの選択など、チームのエンジニアと綿密な事前相談と、現場での的確な判断が要求された。
 決勝レースもスタート時点では気温が20℃近くあったのだが、明るい曇天から雲が厚くなり日没も例年より早くなった。さらに夜中にはコースの南東部から稲妻が光るのが見え始め、やがてそれは弱いスコールをコースにもたらした。ドライバーとの無線のやりとりでコース情報を得るが、やはり一部区間では雨は降っていないという。そんな難しい状況においても、チームのリクエストに応えて適正なタイヤを準備しなければならない。ブリヂストンのスタッフは、変わりゆく天気と路面状況を考察しながら対応していった。
 夜中の雨は一旦止みかけるも、また次第に雨量は増して、さらに昼前には雨量が減り濃霧となった。TOYOTA GAZOO Racingのマシンは、レース序盤からブレーキやトランスミッションなどにトラブルを抱え、さらにタイヤのスローパンクチャーにも見舞われ総合順位も大きく落とすこととなったが、その都度トラブルに対応し解決していった。

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レースは147台中96位(総合順位)でゴール。完走した事によりSP-PROクラス優勝となったものの、誰もが悔しい表情を見せた。しかしこの経験はスタッフの誰をも成長させたに違いない。
「今回はこれまで以上に、時間や能力の限り、できることを迅速に行うことの必要性と重要性を学びました。また社内外あるいは国内外問わず、信頼関係構築の重要性を改めて認識しました。これはどの仕事にも共通するものだと思いますので、社会人としての自身のレベルアップに生かしていきたいと思います」と林はニュルブルクリンクでの経験を締めくくった。
 レース後、豊田章男社長からチームにビデオメッセージが贈られた。「完走ありがとう!」という最後の言葉に全員が労われただろうし、誰もが次はやってやるという強い思いを抱いたに違いない。