BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
  • テクニカルデータ&メモ
  

販売に携わる者として
F1は長年待ち焦がれたカテゴリーでした

現:(株)ブリヂストン 商品企画部長

山田 良二

ブリヂストンがF1参戦する直前まで、市販タイヤであるPOTENZAの販売促進に携わっていた山田良二。
POTENZAは、ブリヂストンのモータースポーツのテクノロジーを継承する高性能タイヤである。1984年の登場以来、販売促進活動では常にモータースポーツをテーマにPRを行ってきた。その現場において、世界最高峰のF1参戦がどのようなインパクトをもたらしたのか伺った。




長年POTENZAの販促に携わって来た者にとって、F1は長年あこがれを抱き続けて来たカテゴリーです。

日本のトップフォーミュラであるF3000で長年訴求を行ってきたPOTENZAの販促担当として、「いつかは世界最高峰のF1を」と想い続けていました。それが、モータースポーツ部門スタッフの努力もあって、販促部門にとっても長年の夢が叶ったと喜んだことを覚えています。と同時に、自社のタイヤに対して誇りを感じました。私は、ミハエル・シューマッハ選手が1991年の全日本F3000にスポット参戦し、初めてづくしの条件のなか2位表彰台を獲得し、その直後シーズン途中からF1に乗ってしまうという、ドライバーとしてのすごさを目の当たりにしていましたからね。そういう世界屈指のドライバーがブリヂストンのタイヤで闘ってくれることに、本当にワクワクする思いでした。当然技術も進化しますし、素晴らしいチャレンジだと感じました。

1996年2月に参戦が決定し、夏になって1年前倒しで参戦することがわかり、急いでF1参戦を記念するキャンペーンを張るべく活動を開始しました。そして、6月に鈴鹿で行われた鈴木亜久里選手によるタイヤテストの取材に引き続き、1996年は最終戦であった日本グランプリの翌日、鈴鹿でワールドチャンピオンを決めたデイモン・ヒル選手によるテストを取材。12月からのキャンペーンやカタログづくりに取り組み、開幕前からF1を盛り上げていきました。

F1は私たちの中ではあこがれのカテゴリーだったのですが、販売会社の方や一般の方々は、それほど詳しいわけではありませんでした。
そこで、まず、「F1とはどんなレースか?」ということをわかりやすく紹介する冊子をつくったのです。一般の乗用車に比べ、どれくらいの車重でエンジン回転数はこんなにも違い、タイヤの大きさはこれくらいだ、というハードの解説から、世界ではオリンピックやワールドカップに並ぶ人気を誇る世界最大規模のイベントである、といった簡単に人に話せるようなポイントをまとめたものです。F1に対するアンケートデータ掲載で関心の高さを裏付け、市販のPOTENZAとF1の技術との関連をセールストークにしましょう、ということも訴求しました。

さらに、一般の方々をモナコGPに招待するプレゼントキャンペーンやPOTENZA購入者にF1コレクションをプレゼントするクローズド懸賞、販売会社の優秀者をイタリアGPに招待するインナーキャンペーンなど、とにかくF1づくしで展開しました。
私は、計画してツールを制作した時点で異動となってしまったため、現場への展開は後任者に委ねました。担当者としてグランプリに行きたかったのですが......後任者からはとても成果があったと聞いています。とにかく、販促の現場にいた私にとって、ブリヂストンのF1参戦は衝撃的なできごとでした。



1993年POTENZA RE710を発売するとき、F1を降りたばかりの中嶋 悟さんに広告へご登場いただきまた。それも、中嶋さんが持つF1のイメージをPOTENZAと重ね、新商品であるRE710にインパクトを与えたかったのです。それまでのRE71は数々の歴史を持ち、販促に携わる者にとって、ものすごく思い入れの強い商品でしたので、それをRE710に変えることはとても勇気のいる決断でした。そのため中嶋さんにご協力いただいたわけで、F1ドライバーは格が違ったんですね。
加えてその年、現役のF1ドライバーだったアイルトン・セナ選手にもPOTENZA誌に出てもらったんですね。これもPOTENZAを格式高いものとして扱うためのもので、セナ選手がレーシングカート当時にブリヂストンタイヤを使っていてくれたという当時からの人のつながりで出演が実現しました。
当時ブリヂストンはF1に参戦していないため、スポーツ新聞に「ブリヂストン、セナと接触」って書かれたりしましたが(笑)、インタビューを行っただけです。
それほど販促としてもF1に近づこうとしていましたから、96年は「待ちに待った」という気持ちで臨みましたね。


その後私自身は、販促の現場から管理部門に異動しましたが、ブリヂストンの参戦するF1がはじまると、レース週の月曜日には「レース結果、どうだった?」って、みんな気にするわけです。「なかなか初年度は難しいよね」と言いながら、O.パニス選手やR.バリチェロ選手の表彰台や、D.ヒル選手があわや優勝という争いをするようになってくると、管理部門でも大いに盛り上がったのを覚えています。翌年、M.ハッキネンのチャンピオン獲得をライバルとの競争のなかで支えたことはインパクトが大きかったですね。
やがて、全くF1を知らなかった人が「私も見てみよう」と、どんどん輪が広がっていき、「レースって面白い」とか「うちのタイヤが勝ったね」という声が多く聞かれるようになり、職場が元気になっていくような雰囲気がありました。
やっぱり、自社の商品が、何かイベントで勝つというのは単純に嬉しいんですよね。「見なかったの?昨日のレース」「次のレースは見てみるよ」みたいに盛り上がりの連鎖が起こっていましたね。

社員も盛り上がったくらいですから、販売店の方々も「F1を店頭で訴求できるのだから、頑張るぞ」という雰囲気がありました。単に販促ツールで訴求できただけでなく、販売の現場全体が盛り上がり、その結果実績に繋がっていったのだと思います。


このような活動を10年以上も継続できたというのはとても良かったことだと思います。F1は、ヨーロッパの文化の1つなので、ポッと出てポッといなくなると軽蔑に値するというか、だったら出ない方がいい、という面がありますから。
私個人にとっては残念なことですが、参戦を終えると決めた際、1年前にきちんと話をして、次期サプライヤー決定への猶予をつくることができた、という点では単独サプライをしてきた会社としてF1をリスペクトしてきた姿を見せることができたのではないかと感じました。手前味噌ですが、ブリヂストンのF1タイヤ自体は非常に優れたものだと思いますし、F1で安全を確保する技術はとても難しいものです。会社として、F1が発展することにも寄与できた14年間は素晴らしい経験だったのではないかと思っています。
私は、2010年9月末までブランド推進部でF1の14年間に対して「ありがとう」というメッセージを発進する立場におりました。F1を広告で活用することに関しては、多方面での権利関係が厳格で、特定チームや選手だけを広告素材に使用することは通常許されないのですが、我々にとって最後の年となる今年の広告に於いては、「いろいろなチームのマシンがひとつの絵の中に一緒に写っている」という表現を、F1チーム側がある程度許容してくれました。
ブリヂストンがF1に対し14年間の感謝を込めてつくりたいという意図を理解し、承認してもらえたことは、驚きでしたし、私たちにとってはものすごく感慨深いことの1つでした。1つの広告表現の中に、実はそんな想いがあるのです。F1のチームの方々もそこを理解してくれたということがうれしかったですね。ブリヂストンの参戦が、きちんとF1文化に貢献したと認めてもらえたのだと感じることのできる一場面でした。
この14年間で、私たちはいろいろなことをF1から学ばせてもらい、一回卒業させてもらうようなことだと思っています。この14年の間に残した足跡をできるだけ次の世代に伝えていき、いつまでも色あせないものにしていかなくてはならないと感じています。

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参戦前のテストを担当した、鈴木亜久里氏。テストは主に旧型のマシンを使って行われた。

当初1998年からとされていたF1参戦は1年繰り上げられ、1997年から始まることになった。販促活動にF1を活用するべく、タイヤテストの現場でも取材などが行われた。

販売の面でも、F1は「待ちに待った」カテゴリーであった。さまざまなツールを制作し、市販のPOTENZAとF1の技術との関連をセールストークにできるようつとめた。

参戦2年目となる1998年、ブリヂストンはマクラーレンによるダブルタイトル獲得をサポート。「自社製品が世界で勝つ」ことで、社内では連帯感も醸成されていった。