BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
  • テクニカルデータ&メモ
  西嶋 大二氏

苦難の時期を乗り越えた
ブリヂストンは、「F1」という舞台を支えた

当時:(株)ブリヂストン 広報・宣伝部部長 / 現:(財)石橋財団 常務理事

西嶋 大二

ブリヂストンがF1への参戦を発表した1996年当時、広報部長として業務に携わっていた西嶋 大二氏に話を伺った。ブリヂストンがF1参戦の意志決定をするまでの期間も、マスコミとの窓口として業務に関わってきた同氏。「時代背景」という面から語ったとき、ブリヂストンのF1チャレンジにはどのような意義が見いだせるのだろうか。




1996年の2月にブリヂストンはF1への参戦を正式発表しました。当時、広報として業務に携わる中で驚いたのは、業界紙や自動車雑誌等は当然のこととして、国内・国外の一般紙の反応が高かったことです。F1参戦が単なるモータースポーツの最高峰ではなく、大きな企業活動であり、しかも世界的ニュースであることを再認識しました。
その年の決算発表会では証券会社や機関投資家の方、アナリストの方からも「どういう背景なのか」「勝算はあるのか」といった質問が決算に関する質問の次に多く来たことはとても印象深いものがありました。


これだけ驚きとともに注目を集めたのには、時代背景とも関係していました。当時、ブリヂストンはかつてない苦境に立たされていたのです。
ことの発端は1988年のブリヂストンによる、米ファイアストン社の買収にありました。これは、当時最大規模の大型買収でした。
特に私が広報課長だった1990年は連結税引後利益50億円弱と、ブリヂストンの歴史の中でも大変な年でした。それだけに、そのファイアストンを建て直すには各部門が相当に苦労しました。「ブリヂストンは火の車だ」「ブリヂストンは大丈夫か」と、新聞各紙に厳しい論調の記事が掲載されたことが今でもありありと思い出されます。


そんな中、最初にお話しした1996年2月のF1参戦発表です。
しかも、当初発表していた1998年から参戦という予定を1年繰り上げて、翌1997年から参戦することにしたのですから、余計にインパクトがありました。
参戦初年度は、開幕戦からオリビエ・パニス選手が5位入賞を果たし、2戦目のブラジルGPでは3位となり、早くも表彰台に上りました。
現地からある日本人ジャーナリストが「表彰台でパニスの被っていたブリヂストンの赤い帽子が日の丸に見えました」とファクスを送ってきて「ああ、F1に参戦すると言うことは、そういうふうに見られることなのか」とも思いました。
ブリヂストンの社員が、会社のロゴが入ったバッグを持って欧州出張に行った際、税関で「おまえはブリヂストンか、頑張れよ」と声を掛けられたというエピソードも聞きました。
日本国内はもちろん、世界からはそのように見えている部分もあるし、F1参戦がブリヂストンにとって世界での知名度アップとブランド強化を象徴するものになっていったのは間違いないでしょうね。

また、この1997年というのはブリヂストンにとって非常に大きな転換期となった年で、ブリヂストン/ファイアストン・インクという米州子会社が、単体の売り上げを追い抜いた年でもあるのです。これもF1参戦と並んで非常にシンボリックな出来事でしたね。1995年にはファイアストン事業復活の第一歩として、ファイアストンブランドで、アメリカ最高峰のレースであるインディカーシリーズに参戦を開始し、「俺たちのファイアストンが帰ってきてくれた!」と大歓迎されていました。
こうして、時間の掛かっていたファイアストンブランドの建て直しをついに達成し、いよいよ今度はブリヂストンブランドでF1で世界に打って出る。それを世の中に明確なかたちで示した年だったのです。


1998年にはグッドイヤーが撤退を表明し、グッドイヤーのタイヤを装着するフェラーリと、我々のタイヤを使うマクラーレンの全面対決。最終戦の日本GPまでもつれる戦いの末、ついには勝利を収めるわけですが、ここである方から言われた「勝った、負けたで一喜一憂するけれど、勝負は時の運もある。F1に出るということはそれだけじゃない」という言葉は、タイヤメーカーがF1にどのように取り組むべきか、ということを考えさせられる一言でした。そして「F1が他のモータースポーツとどう違うのか」を知るという意味で非常に印象的でしたね。
チームやドライバー、クルマが「役者」だとすれば、タイヤはいわば「舞台」。つまり、単なるレースというよりも、文化としての側面も持つF1に対する責任があるのだ、と思います。同時に、自動車メーカーが参戦するのとは、元来異なると思います。
2000年からタイヤがブリヂストンのワンメイクになったときには「参戦し続ける意味はあるのか」と心配する方もいましたが、私は先程述べたように全く心配しなかったですね。
90年代初頭の厳しい時代を乗り越えてきたブリヂストンの強さは、F1を支える「舞台」としての役目を担えるまでになったことによって、世界に示されたものと思います。

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1995年、ブリヂストンはファイアストンブランドの復活の第一歩としてインディカーシリーズへの参戦を開始。特にアメリカ市場からの反響は大きく「ファイアストンが帰ってきた」と大歓迎された。

参戦2戦目のブラジルGPで、O.パニス選手が3位表彰台を獲得。新規参戦ながら、その強さを世界に印象づけた。