BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
  

フェラーリはブリヂストンとのパートナーシップ
により大きな成功を収めた

当時:フェラーリ・チーム代表 / 現:FIA 会長

ジャン・トッド

グッドイヤーのF1撤退により、ブリヂストンのワンメイクとなった1999年から、名門・フェラーリとブリヂストンとの関係がスタートした。その年には16年ぶりのコンストラクターズタイトルを獲得し、翌年はドライバーズ&コンストラクターズの両タイトルを制覇。
代表としてチームを率いながら、2004年までミハエル・シューマッハ選手とともに一時代を築き上げてきたジャン・トッド氏にとって、ブリヂストンはどんな存在であると言えるだろうか。

2000年に、ミハエル・シューマッハがドライバーズ・タイトルを獲得したあの日は、私にとって忘れられない歴史的な一日になりました。フェラーリにとって、それは21年ぶりのできごとだったからです。
その後、2004年まで連続でタイトルを獲得し続けていく中で確信しました。フェラーリは、ブリヂストンとのパートナーシップのおかげで、大きな成功を収めることができたのだと。


いいこともあれば、悪いこともありました。
私はフランス人ですし、F1で多くの成功を収めてきたフランスのタイヤメーカー、ミシュランには敬意を払っています。それでも私たちのパートナーはブリヂストンであるとずっと思ってきましたし、タイヤメーカーを変更しようと思ったことはありませんでした。


鈴鹿に行くときは必ずブリヂストンの役員会を訪問し、彼らからの力強い言葉を受け取ることもできましたし、安川さん、浜島さんとはチーム代表としてはもちろんのこと、個人的にも非常に親密におつきあいをさせてもらいました。


今、FIAの会長としての立場から思うのは、ブリヂストンがF1から去ってしまうことが非常に残念だということです。F1はもちろん、自動車社会の未来を考える上で必要な、さまざまな活動をともに遂行していきたいと思っていましたから。私は、なんとかブリヂストンがF1にとどまり続けてくれるよう、お願いをしてきましたが、残念ながらその決定は覆りませんでした。

モータースポーツ界は、ブリヂストンのF1参戦休止を惜しむことでしょう。私から、F1の全体を代表して感謝を伝えたいと思います。
ぜひ、近いうちにまた戻ってきてください。

index
backnext

2000年の日本GPで、シューマッハ選手はハッキネン選手を破って優勝。フェラーリにとって、実に21年ぶりとなるドライバーズタイトル獲得が決まった瞬間であった。

2004年まで連続でタイトルを獲得していった、フェラーリとシューマッハ選手。ブリヂストンは、その成功を足もとから確実に支え続けた。