F3からF1そしてインディカー | |||
元 スーパーアグリF1チーム ドライバー / 現在 IRLドライバー 佐藤 琢磨 |
1996年にモータースポーツを始め、その6年後の2002年にジョーダン・グランプリからF1デビュー。その後もめざましい活躍を見せて日本はもちろんのこと、世界中で高い評価を受けた佐藤 琢磨選手。そのキャリアの重要な局面で、琢磨選手はブリヂストンとともに戦ってきた。現在はブリヂストンのファイアストンブランドのタイヤを使ってインディカー・シリーズに参戦中の琢磨選手にとって、ブリヂストンとはどんな存在であったのか。
僕は高校時代から大学時代まで、ずっと自転車競技に打ち込んでいたので、モータースポーツを始めたのは遅く、19歳の時でした。その時、カートでブリヂストンタイヤを使ったのが初めての出会いでしたが、レースキャリアの最初でその出会いを果たせたのはよかったです。カートで僕はレースを学んでいる最中でしたので、ブリヂストンタイヤを使って学ぶことができ、大変勉強になりました。
残念ながら、ブリヂストンの自転車は持っていませんでしたが、ブリヂストン・サイクルは国内でも有数の強豪のチームを有しており、僕もいつも応援していました。
ブリヂストンスタッフとの仕事は、素晴らしい経験でした。その中でも、僕がF1に参戦する以前の一番の思い出といえば、2001年ザントフールトでのF3 マールボロ・マスターズでしょうね。メジャーな国際レースにおいて僕が初めて勝利したレースであり、特別です。その後のF1では、安川さんをはじめ、ブリヂストンのマネージメント陣とも楽しい時を過ごすことができましたし、いつも充実したレースをすることができました。エンジニアの皆さんとも、とてもうまくやっていましたし、モータースポーツに大きな情熱を注いでいると常に感じていました。また、日本人として、このような企業と仕事をすることを誇りに思っています。どの思い出もみな良いものばかりですね。
2006年、僕はスーパーアグリF1チームからF1に参戦しました。ブリヂストンから供給してもらっていたタイヤはとても扱いやすいタイヤではありましたが、シーズンが進むにつれ、もっとパフォーマンスの高いタイヤが必要になり、エンジニアの方と話し合いを重ねました。タイヤを次のレベルに進化させようとしたのです。この新しいタイヤはとてもグリップが高い反面扱いが難しく、最初のうちはマシンにうまくマッチしませんでした。しかしシーズン終盤にはマシンの進化によってこれを使いこなせるようになり、ブラジルGPでは、真っ向からのバトルを制し10位に入る、当時の僕らとしてはそれ以上望めない素晴らしい結果を残すことができました。そのあとも思い出の詰まったレースはたくさんありましたが、今でも忘れられない一戦となっています。
ブリヂストンがモータースポーツ界において独自の立ち位置を築けたのは、安全で性能の優れた製品を創り出してきたという実績と自信によるものだと僕は思います。これはブリヂストンの優れた点であり、その品質管理は世界最高レベルではないでしょうか。レースではタイヤを極限まで酷使するので、いくつか問題が発生するのは当たり前の事ですが、F1でもインディカーでも常に安心感があり、大きな問題に発展することがないのです。ですから、いつでもタイヤを信頼しながら走ることができました。これは、レーシングドライバーにとって、何にも代え難いものです。
モータースポーツに携わる全ての方々にとって、ブリヂストンがF1を去るのは当然ながら悲しいことだと思います。しかし、ブリヂストンはこれからも変わらず、世界最高品質のタイヤメーカーであるだろうと僕は信じています。
それに、F1を去ってもモータースポーツにはまだ挑戦すべきシリーズがたくさんあります。僕自身、現在はブリヂストンのファイアストンブランドと一緒にインディカーに参戦していますが、そこでもとても良好な関係を築けています。
これから世界の自動車産業はより洗練され、より環境に配慮したものに変わっていくと思います。そのなかでF1にて証明してきた技術力をもち、その変化の第一線にブリヂストンには居てほしいですし、技術を重んじる日本の主義が世界に広がり、それを先へと推し進めていく力であってほしいと願っています。そして、いつの日かまたブリヂストンがF1に戻ってくることを楽しみに待っています。