BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
  

日本生まれのチームでF1に出る。
その夢をかたちにしてくれた

当時:スーパーアグリF1チーム代表

鈴木亜久里

1990年に日本人として初めて表彰台を獲得し、その後フットワーク、ジョーダン、リジェなどのチームで活躍してきた鈴木亜久里氏。1996年にブリヂストンのタイヤテストでドライバーを務めた後は、活躍の場を日本国内に移し、チームオーナーとしてフォーミュラ・ニッポンやSUPER GTに参戦してきた。2006年には、ついに自身の夢であった「自らのチームでのF1参戦」を成し遂げる。小規模ながら、情熱に満ちたそのチームの活動が、日本国内のみならず、世界中に感動を与えてきたのは記憶に新しいところだ。
その活動において、ブリヂストンは、どのように関わってきたのだろか。




ブリヂストンがF1に参戦する1年前の96年、僕がブリヂストンのタイヤテストを担当していたことをご存じの方は多いと思います。
当時は、グッドイヤーのタイヤを装着したリジェチームでドライバーを務めながら、帰国するとブリヂストンのテストドライバーをしていたのですから、まあ、グッドイヤーのエンジニアからの視線は、どことなく冷たいものがありましたね......。


テストをしながら考えていたのは、どのようにブリヂストンのアドバンテージをのばしていくか、ということでした。当時テストしていた試作品のF1タイヤは、とにかくトラクションとブレーキングの性能に優れていた一方で、グッドイヤーに比べ横Gがかかったときの剛性感がなく、そこが弱点になっていました。
僕がマシンに乗りエンジニアたちとともに目標として定めたのは、まずブリヂストンの長所である縦方向のグリップを強化し、弱点である横方向のグリップは、『そのあとなんとかしよう』ということでした。
最終的には、コンストラクションの上に乗せるゴムの厚さを従来の半分くらいまで薄くしたのが効きましたね。そのぶん耐摩耗性では不利なのですが、そうすることで横Gがかかったときの「タイヤが動きすぎる」感が、ずいぶんと改善されました。
残念ながら、僕がブリヂストンのタイヤを使ってF1のレースを走ることはありませんでしたが、プロストやスチュワート、アロウズなどのチームが参戦初年度からかなりの好成績を収めました。テストの時から「これはかなりいい線行くぞ」と感じてはいましたから、なんだか誇らしかったですね。

僕が次にF1に戻って来るのは2006年。
身一つでイギリスに飛び、既存のチームを買収するのではなくて、まったく白紙の段階から立ち上げた「スーパーアグリF1チーム」での参戦です。
なぜそこまで困難なことをしたのか......といえば、自分の中で、45歳までに自分のF1チームを持つというのは目標というか、夢というか......絶対に成し遂げたいことだったからです。「もう一回やれ」と言われても絶対にできませんよ。数ヶ月でチームを立ち上げるというのは、すべてが奇跡みたいにかみ合ったからこそ、できたことなのだと思いますね。
でも、まるで坂道を転げ落ちるみたいに迎えた開幕戦のバーレーンGPでは目の前が真っ暗になりました。なにしろ、トップチームから7秒も8秒も遅いのですから......。
多々原因はありましたが、とにかくタイヤのグリップに対し、4年前のアロウズをベースにしたマシンのサスペンションが、完全に負けてしまっているというのが大きかったですね。
そのくらい、4年間の間にタイヤの進化というのは大きなものがあったのです。


それでも、その年の最終戦に僕らのチームはトップチームと遜色ないラップタイムで走れるまでになっていました。2007年には念願のポイント獲得も果たしました。その理由は、スーパーアグリF1チームがとてもコンパクトで、みんながひとつの目標に向かって進んでいくのにこれ以上ないほどの環境だったこと、ホンダがエンジンのみならず、パーツ開発などの面でも協力してくれた、など、多く挙げられます。
でも、特に大きかったのはブリヂストンが、「どうしたらタイヤの性能を活かしきれるか」という視点で多くのアイディアをくれたことではないかと思います。なんといっても、地面と接する唯一のパーツであるタイヤに関することですからね。こればかりは、フェラーリも、マクラーレンも、スーパーアグリも何ら変わることはありませんから。
特に印象深いのは、その後マクラーレンに移籍していった、ブリヂストンの今井さんというエンジニア。彼はものすごく優秀な人で、タイヤのことはもちろん、マシンのことも全部わかっていて、彼からもらったアドバイスで、スーパーアグリのサスペンションは格段に進化しました。「ブリヂストンがサスペンションの設計をしたほうがいいんじゃないか?」と思ったほどですよ。(笑)


「スーパーアグリF1チーム」という僕らの挑戦は2008年で終わってしまったわけですが、いまでも忘れられない光景は、チームとして迎えた最初の日本GPで、僕らのグッズを身につけたファンがみんなで力一杯応援をしてくれていたこと。あんなに後方を走っているのに、サーキット全体がそのチームのファンでいっぱいなんてことは、世界中見回しても僕ら以外では見られないことではないかな、と。日本のエンジンと日本のタイヤを使う日本生まれのチームが、日本人ドライバーとともに自動車レースの最高峰に挑むということは、この国の多くの人の「夢」であること。そして、その「夢」がいかに大きなものであったのかを、改めて実感したような気がします。
ブリヂストンは、僕の、そして日本のモータースポーツファンの「夢」をかたちにする手助けをしてくれた。とても感謝しています。

index
backnext

鈴木亜久里氏は、ブリヂストンのF1参戦前年にあたる1996年にテストドライバーを務めた。その当時から「グッドイヤーとかなりいい勝負を繰り広げる」という予感を持っていたという。

2006年、鈴木亜久里氏は自らのチームであるスーパーアグリF1チームを率いてF1にカムバックする。非常にコンパクトなチーム体制ながら、有力チームに伍して2007年には2回の入賞を果たし、世界中に驚きを与えた。