から2位でゴールしたが、本当に素晴らしいパフォーマンスを見せた。
また、パニス選手のピンチヒッターとして起用されたヤルノ・トゥルーリ選手も第14戦のオーストリアで終盤までトップを走るなど、参戦初年度としては大きな成果を残してシーズンを終えることができた。だが、中堅チームはエンジンパワーでトップチームに比べ劣勢であり、シーズン後半のエンジンパワーが特に重要となる高速サーキットのレースではタイヤ性能のメリットを生かしきれなかった。また、母国鈴鹿の日本グランプリでは、期待に応える結果を残すことなくレースを終えてしまい、翌年への課題があったのも事実だった。
2シーズン目にトップチームをサポート
1998年シーズンは前年の4チームにマクラーレン、ベネトンの2つのトップチームを加えて計6チームをサポートすることとなった。マクラーレン、ベネトンは王座への力強いパートナーとしてブリヂストンとコンビを組んだのだ。マクラーレンとの契約に当たっては、DTM、ITC、FIA-GTでの活動を通じブリヂストンのパフォーマンスを高く評価をしていたメルセデス・ベンツの強い推薦があった。
シーズンオフのテストの段階から前シーズンの経験と大きく異なったのはトップチームの走り込みの激しさだった。メカニックやエンジニアの数も多く、テストプログラムも思っていた
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以上に進んだ。彼らの機動力は素晴らしく、テストスケジュールを完璧にこなすだけでも大変だった。また、次から次へと新たなプログラムを用意しなければならないという状況であった。以前なら、ブリヂストンのペースでテストが進められた部分もあったが、特にマクラーレンのエンジニアは常に新たなプログラムを要求してきた。ブリヂストンの技術陣もその技術を100%発揮してそれに応えなくてはならなかった。それらは大きなプレッシャーであったのは事実だが、同時に新たなチャレンジでもあった。
また、この年から安全性向上を目的としてF1マシンのコーナリングスピードを抑えるため、タイヤにフロント3本、リア4本の縦溝を設けることを義務づけたレギュレーションが導入された。
マシンの最大幅も10%狭くなり2メートルから1.8メートルとなった。この最大幅の減少によってマシン自体のダウンフォースが減り、スライド量が多くなることが予測できた。そしてタイヤに溝が付けられたことでスリックタイヤよりも接地面積が少なくなり、コーナリング中の横方向のグリップ、ブレーキングの際の縦方向のグリップにも当然変化が出る。新レギュレーションはいずれにしろ、よりタイヤへの負担を大きくした。
溝付きタイヤという課題へ向けて1997年シーズン中からテストは行われていた。最初にこの溝付きタイヤを走らせたのは4月30日のスペイン、バルセロナでのテストだった。最初の走行では、
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