ドライ用フロントタイヤ。サイズ:225/55 R13。フォーミュラ・ニッポンは1997年からタイヤワンメイク化された。

ドライ用リアタイヤ。サイズ:340/620×13。現在フォーミュラ・ニッポンのリアタイヤはF1より太いサイズが使用されている。

らF1へ羽ばたいていったドライバーである。また、ミハエル・シューマッハ選手は、彼の唯一のF3000レースを日本の菅生で闘っている。その彼をサポートしたのもブリヂストンだった。

 このトップカテゴリーにおいて、ブリヂストンは1973年の参戦以来、1994年に至るまで164戦中122勝する圧倒的強さを誇ってきた。

 1995年、それまで国内のトップフォーミュラをサポートするタイヤメーカーは3社だったが、ダンロップが阪神大震災の影響により撤退、ブリヂストンとヨコハマの2メーカーのみがタイヤ

供給することとなった。この年、全10戦でブリヂストンユーザーが優勝、シリーズランキングでもチャンピオンの鈴木利男選手、2位の高木虎之介選手、3位のトム・クリステンセン選手など、上位を独占した。

 1996年、国内トップカテゴリーレースとて経済不況の煽りを受けないわけではなく、その打開策としてシリーズの振興を目的として統括団体が組織され、名称も「F3000」から「フォーミュラ・ニッポン」と改称、新たなスタートを切ることとなった。

1996年までは、転戦する各地のサーキットに対して、異なるコンストラクションとゴムのコンビネーションのタイヤを持ち込みサポートを行っていた。

ミハエル・シューマッハの弟ラルフ・シューマッハは、フォーミュラ・ニッポン初年度の1996年にチャンピオンを獲得した。

サーキットの現場でドライバーに対してコンサルティングを行う。ドライバーからのコメントの中にタイヤ開発の貴重なヒントがある。

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