ミシュランにスイッチしてまで日本ツーリングカーレース参戦の使命であったチャンピオン獲得を目指し、参戦2年目でそれを成し遂げた。弛まぬタイヤ開発を行ったブリヂストンであったが、この年はシリーズ2位、3位にそれぞれ関谷選手、星野一義選手(ニッサン・プリメーラ)がランキングされるにとどまった。
 1996年、シュニッツァーチームの姿は見られなかったが、ブリヂストンとミシュランとの闘いは続くことになる。
 この年から本腰を入れたホンダはニューマシン、アコードを3台投入。このアコードは、ボディー剛性が高く、ツーリングカーでありながらフォーミュラ的な動きを示すマシンで、タイヤと路面との接地という意味でより理想に近づき、今までのツーリングカー用タイヤ開発のコンセプトを新たにすることが要求された。中子修選手と黒沢琢弥選手に託されたマシン2台は

ブリヂストンを装着、服部尚貴選手の駆るマシンはミシュランを装着することとなった。ライバル駆逐を目指した3台の同じマシンが、異なるタイヤメーカーをチョイスしたことは、タイヤメーカーの争いを如実に示し、その開発競争は更にヒートアップしたのだ。
 シーズン序盤、服部選手のアコードが開幕3連勝、そしてミハエル・クルム選手(トヨタ・エクシヴ)が第4戦を勝ち、ミシュラン勢がリード。しかし、第5戦で中子選手のアコードが優勝、ブリヂストンは一矢を報いることができた。その後はニッサン・プリメーラを駆る星野、影山正彦の両選手、そして中谷明彦選手(BMW 318i)、黒沢選手、エリック・コマス選手(トヨタ・エクシヴ)とミシュラン勢に食い下がる健闘を見せたブリヂストン勢は合計7勝をマークするも、1人で5勝した服部選手がドライバーズタイトルを獲得し、ブリヂストン装着の中子

ニッサンはこのプリメーラとサニーを投入してシリーズに参戦。

FRマシンのBMWは、1996年の仙台ハイランドでブリヂストンとともにプライベートチームによって貴重な1勝を記録。

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