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■フォーミュラ・ニッポン | |||||||||||||||
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F1への登竜門となっている フォーミュラ・ニッポン フォーミュラ・ニッポンは、国内フォーミュラカーレースのトップカテゴリーである。1995年までは、搭載する3000ccのエンジン排気量から〈F3000〉というカテゴリー名称だったが、1996年以降は名称を変え新生フォーミュラカテゴリーとして活動を続ける。同じエンジン排気量のマシンを用いヨーロッパ各国を転戦するシリーズが展開されているが、このクラスのフォーミュラカーレースが単一国内で行われている例は他にない。 そして、フォーミュラ・ニッポンと旧F3000シリーズは、もっともF1に近い高度なコンペティションが展開されるレースである。それを裏付けるように、これまで多くのドライバーをF1へと輩出している。日本人では中嶋 悟選手、鈴木亜久里選手、片山右京選手、中野信治選手、高木虎之介選手。外国人ドライバーでは、フォーミュラ・ニッポン初代チャンピオンのラルフ・シューマッハ選手、ラルフ・ファーマン選手など多くがF1へステップアップしていった。現在ブリヂストンとともに毎年F1チャンピオンとなっているミハエル・シューマッハ選手も、日本でブリヂストンタイヤを履き唯一F3000に参戦している。 ブリヂストンは、国内トップフォーミュラレースの最初の年、1973年からおよそ30年にわたりタイヤを供給。1997年からはフォーミュラ・ニッポンにワンメイク供給を行って現在までサポートを続けている。70年代序盤、レーシングタイヤ開発の黎明期から積極的にサポートを続けてきたこのカテゴリーは、ブリヂストンのレーシングタイヤの歴史になくてはならないものであり、高度な技術がこのカテゴリーで積み重ねられてきた。 |
TEAM IMPULは、2003年にフォーミュラ・ニッポンで初のチームチャンピオンとなった。ドライバーは本山選手。 | 2003年のチャンピオン獲得で、通算3度目のフォーミュラ・ニッポン王座に輝いた本山選手。 | |||
2003年から車体がローラのワンメイクとなり、ドライバーの力量がさらに問われるようになった。 | 2003年にレースの走行距離が延ばされ、給油が義務づけられる。給油タイミングの戦略が勝敗を左右するようになり、レースの面白みが増した。 |
ドライ用フロントタイヤ。 サイズ:225/55R13。 フォーミュラ・ニッポンは1997年からタイヤワンメイク化された。 |
ドライ用リアタイヤ。 サイズ:340/620X13。 フォーミュラ・ニッポンのリアタイヤはF1より太いサイズが使われている。 |
ウェット用浅溝フロントタイヤWEDS。 サイズ:215/55R13。 2002年まで使用された。 |
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