
ジュニアカートからキャリアをスタートし、FIA-F4、レジェンドカー、JAF-F4を経て、着実に実績を積み重ねながらステップアップを続けてきた黒沼聖那(くろぬま・せな)選手。スーパー耐久には、#65 OVER DRIVEのロードスターで富士24時間レースにスポット参戦したことをきっかけに本格参戦を開始し、現在はST-5Rクラスで活躍している。2025年からは#88 村上モータースのMAZDAロードスターを駆り、シリーズチャンピオン獲得というチームの目標に挑戦中だ。プロドライバーとしての意識を高めながら、レースと仕事の両立にも真摯に取り組む日々──成長の場としてS耐に挑み続ける若きドライバーの今に迫る。

「レースを始めたのは、父に中井インターサーキットへ連れていってもらったことがきっかけです。小中学生の頃はジュニアカートで活動し、高校生になる頃には「いつかプロになりたい」と考えるようになっていました。19歳でFIA-F4にステップアップしたんですが、本当に何もできなくて。資金も尽きてしまって、翌年はまったく活動できない時期を過ごしました。
そんなときに出会ったのが、アメリカ発祥のレジェンドカーでした。1年目には世界大会にも出場できて、またレースを本気でやりたいという気持ちが戻ってきました。そこでファーストガレージさんが「一緒にやろう」と声をかけてくれて、JAF-F4に参戦させてもらいました。FIA-F4時代の苦い思いもありましたが、勝つことで少しずつ自信も取り戻せましたし、チャンピオン争いができるまで成長できました。
スーパー耐久との出会いは、JAF-F4でお世話になった先輩の太田さん(太田達也選手)に声をかけていただいたことがきっかけでした。最初は富士24時間レースへのスポット参戦で、目立つ走りができたわけではありませんでしたが、チームの方々に評価していただき、翌年にはオーバードライブの#65号車でフル参戦しました。2年目には初優勝も経験し、耐久レースの難しさや面白さ、そしてチームで戦うということの本当の意味を学ぶことができたと思っています。
そうした経験を積む中で、自分の生活や働き方も見直すようになり、「ちゃんと自立したい」と強く思うようになりました。もともと家業を手伝っていましたが、一人で生活し、企業に勤めながらレースと向き合う新たな道を選びました。いまは自動車のアフターパーツや健康・スポーツ用品を取り扱うブランドのショールームで働いています。接客を通じて身につけた言葉遣いや立ち居振る舞いが、レース現場でも役立っていると感じています。レースのときは会社に相談して休みをいただいていていますが、快く送り出してくれる、本当に理解のある職場です。そして今シーズンは、新たに村上モータースから参戦しています。ロードスターに乗る機会を探していた中で声をかけていただき、「ぜひ乗りたいです」とお願いしました。これまでに学んできたことを活かしながら、次のステージでもしっかりと結果を残せるよう挑戦を続けています。
現在のチームでは、一つでも多く順位を上げ、再び一緒に戦うことになった太田さんへバトンをつなぐのが僕の役割です。混戦をしっかり走り切る安定感や的確な状況判断も求められる中、そうした責任あるポジションを担うことで、毎戦ごとに自分の成長を実感しています。そうしてチャレンジしていく中で、ブリヂストンのタイヤは心強い味方になっています。グリップもライフも優れていて、90分近いスティントでも性能が大きく落ちず、安心して攻めることができる。限界が高いのも魅力で、自分の引き出しを増やしていくうえで欠かせない存在です。
今年は、ST-5Rクラスでシリーズチャンピオンを獲ることが最大の目標です。過去には何度もタイトルに手が届きかけて届かなかった悔しさを経験しているので、今年こそはその壁を越えて、確かな結果という形で自身の成長を証明したいと思っています。」
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ブリヂストンは、スーパー耐久を支える“ひと”の力とともに、
その想いがゴールまで届くよう、足元から走りを支えていきます。