BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
  • ブリヂストンのF1チャレンジはこうしてはじまった
  • ブリヂストンF1スタッフ歴戦の記憶
  • 内外の関係者が語る、F1活動の意義 F1参戦がもたらしたもの
  • 参戦年表
  • テクノロジー&レギュレーション
  • テクニカルデータ&メモ
  ロス・ブラウン氏

「ブラウンGP」の歴史的快挙における
最大の立役者、それがブリヂストン

現:メルセデスGP 代表 / 1997年~2005年当時:フェラーリ・テクニカルディレクター

ロス・ブラウン

2008年末、急遽F1から撤退したホンダのチーム体制を継承して誕生した「ブラウンGP」が、2009年の開幕戦から見せた快進撃は、F1の歴史の中に永遠に語り継がれるであろう歴史的快挙となった。そのチームを率いていた、ロス・ブラウン氏に、フェラーリ時代からのブリヂストンとの関係など、じっくりと振り返っていただいた。




ブリヂストンは、常に信頼してつきあうことのできる相手でした。
エンジニアたちは、たとえ正しい解決策が見つからないときでも、答えを見つけ出すまで賢明に作業を続けてくれていたのです。
タイヤが、クルマの性能的側面として「最重要」とまでは言わないまでも、そうした重要な側面のひとつであり、メーカー同士の熾烈な開発競争が繰り広げられる中でブリヂストンと組んでいた時代は、私にとって大変実りの多い時期でした。


F1におけるブリヂストンとの関係が始まった1999年は、その前の2年間にわたるタイヤ戦争が終わり、全員が同じ条件での再スタートとなりました。2000年についに大きな成功を収めることができ、ここで始まったフェラーリ、ミハエル、ブリヂストンの黄金関係はその後の熾烈なタイヤ戦争の時代を通じてずっと続きました。
ドライバーズ・タイトルを獲得した2003年は、レース用のパッケージは非常に良かったのですが、私たちは可能なすべてのことを試しながら、レースでは負けてしまうようなところがありました。結局、ミハエルが最終戦で1ポイントを獲得し、辛くもタイトルを勝ち取ることができました。
長い年月の間には、酒を飲んで泣きたくなるような辛い時期もありましたが、この日はうれしい酒が飲めたものですよ。


厳しかったのは2005年です。私たちがそれまでのルールで成功を収めていたため、結果的に2005年シーズンのルールが変更になったのです。
とはいえ、そんな厳しい状況の中でも私たちの信頼関係が揺らぐことはありませんでした。
私たちは、シーズン後半になってようやく1勝を挙げるのがやっとだった厳しいシーズンも、早い段階でチャンピオンを獲得できた強いシーズンも経験してきました。2005年にはこうした経験を活かすことができましたし、私はこの1年を耐え抜かなくてはならない局面だと判断していました。
結果だけ見れば後退していたかもしれませんが、直面する障害を克服することが私たちの課題でもあったのです。

2006年は、ピットストップとタイヤ交換が復活し、私たちにとって有利な環境になりました。シーズン序盤はうまくいかなかったものの、私たちは徐々に競争力を取り戻し、ブラジルGPの最終レースのクルマとタイヤのパッケージは極めて競争力の高いものになりました。モーターレーシングには「たられば」はありません。それでも、もしブラジルGPで接触事故によるタイヤバーストがなければ、私たちがタイトルを獲得していたでしょう。
その年のタイトルを獲得したアロンソ選手のチームメイトであるクルマに接触したことが原因で私たちのタイヤがバーストしたのは皮肉でした。しかし、私たちは最後の最後まで戦い続けていました。2005年の厳しい時代を経て、強さを取り戻したことは本当に素晴らしいことでした。


その2006年シーズンの終了を以て、私はフェラーリを去り、2008年からホンダと一緒に仕事をすることを決断しました。そこには、私たちと異なる文化を持つ日本人と一緒に仕事をする楽しさ──たとえ困難な話し合いになっても、必要なことについては何事も隠し立てをせず率直。私たちはずっと正直な関係を享受することができるような──をブリヂストンから教えてもらったという、素晴らしい経験が活きていたように思います。


ところが、残念なことにホンダは2008年いっぱいでF1から撤退してしまいます。私たちは経営権買収を決断することになるのですが、このときすぐにサポートを約束してくれたのが、誰あろうブリヂストンです。私たちはこの決断に非常に勇気づけられました。
2009年の結果は、もうご存じでしょう。私たちは「初参戦」という立場のチームでありながら、なんとドライバーズ・タイトル、コンストラクターズ・タイトルの両タイトルを獲得することができたのです。クルマの仕上がりや、ドライバー、スタッフのがんばりなど、さまざまな要因があったでしょう。しかし、タイトルを獲得できた最大の要因は、ブリヂストンのサポートだと私は思っています。なぜなら、タイヤ供給がなければ、タイトルを獲得することはおろか、シーズンを戦うことさえできなかったのですから。

index
backnext

96年からフェラーリに加入し、チームの強化に貢献。努力が実り、99年にはチームにとって16年ぶりのコンストラクターズタイトルを獲得した。

2004年/Rd.8 Canada

2000年~2004年は連続でダブルタイトルを獲得。まさにフェラーリとミハエル・シューマッハ選手、ブリヂストンによる一時代を築き上げる。

2006年いっぱいでフェラーリを去ったブラウン氏は、新たなチャレンジを求めてホンダに移籍。フェラーリを改革した手腕を発揮して、体制強化に取り組む。

そのホンダも残念ながら2008年いっぱいで撤退。ブラウン氏はチームを引き継ぎ、ホンダ時代からともに歩んできたバトン選手、バリチェロ選手とともに、自らの名を冠した新チーム、ブラウンGPで参戦。バトン選手が総合優勝を果たし、なんとデビューイヤーでダブルタイトル獲得という快挙を成し遂げた。

2010年、ブラウンGPはロズベルグ選手とシューマッハ選手を擁してメルセデスGPとして再出発をすることになった。これからもブラウン氏のチャレンジは続いていく。