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カートからF1まで、一貫して | |||
現:ロータス・ドライバー / 2004年~2009年当時:トヨタ・チーム・ドライバー ヤルノ・トゥルーリ |
デビューイヤーの1997年からたびたび上位を脅かす印象的な走りを見せ、その後のチャンスを掴んだヤルノ・トゥルーリ選手。ブリヂストンと同じく1997年が「F1デビュー」となるが、その関係ははるか前からスタートしていた。ブリヂストンは、トゥルーリ選手のキャリアにおいてどんな役割を果たすことができたのだろうか。
僕は、特にカート時代にブリヂストンと一緒に仕事をする時間が長かったので、良い思い出があります。ブリヂストンのカート用タイヤの開発作業全般を僕が担当していて、当時、僕たちのタッグは最強だったのです。そのことも良い思い出ですが、その後カートタイヤ時代のエンジニアたちが大勢F1で仕事をしてくれたのは、もっとうれしいことでした。僕だけでなく、他の素晴らしい人たちもカートからF1に登り詰めたということですから、本当に心が躍るような出来事でした。
もちろん、F1に行ってからもブリヂストンと僕の関係はずっと良好でした。おそらく僕自身が日本人や彼らのメンタリティと折り合いがよいからでしょう。僕は常に彼らの仕事と日本人ならではのまじめな姿勢に共感を持っています。だから全般的に良い思い出ばかりなのです。
予選3位からスタートし、レースをリードした1997年のオーストリアGP(当時プロストチーム)は、F1に参戦を開始したばかりのブリヂストンと僕にとって最高の瞬間の一つだったと思います。僕たちは確かにレースをリードしていましたし、たぶん僕の調子も良かったのでしょうが、本当に素晴らしいのはタイヤだったということを認めざるを得ませんでした。
僕たちは大きなアドバンテージがありましたし、タイヤとクルマはあの状況下でよく機能していました。最終的にその年のワールドチャンピオンになったビルヌーブ選手に対して、僕たちはかなりリードを広げていました。不運にもエンジンが故障し、それだけの理由で僕とブリヂストンは優勝を逃してしまいました。今思い返しても、とても残念なことです。
タイヤ開発競争のあった頃は、毎週のようにタイヤのテストを実施し、レースごとにタイヤを進化させていました。すごかったですよ。タイヤメーカーにも、ドライバーとチームにとっても非常に専門的で厳しい仕事で、本当に真剣に取り組んでいました。ブリヂストンにとって、モータースポーツの歴史の中で最大の挑戦の一つだったと思いますし、とても意味のあるものだったと思います。
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1997年に片山右京選手のチームメイトとしてミナルディからF1デビュー。シーズン中にはパニス選手の代役でプロストからも出走。デビューイヤーながらラップリーダーを記録するなど大いに活躍した。
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2005年にトヨタに移籍。ここでも才能をいかんなく発揮して、チームを上位に押し上げていく。2009年は優勝争いにも加わり、チームの母国である日本グランプリでは二位表彰台を獲得した。
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2010年は新興チームのロータスに移籍。チーム体制が完全とはいかずポイント獲得はならなかったが、ベテランらしいレース運びで見せ場を多く作った。
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