グランプリが行われている海外のサーキットでは、TWRのスタッフと共にテストが繰り返された。マシンはアロウズ/ハート。実戦参加を目前にしたテストチームの集合スナップ。

 

ツタイヤ開発部では、フォーミュラカー用タイヤ開発の基礎技術を徹底的に見直すこととなった。フォーミュラカー用タイヤのグリップとは何か、接地特性とは何か、を課題としたプロジェクトが1990年から1991年にかけて行われた。先行技術を用いた素材の研究やシミュレーション技法により新たなフォーミュラカー用タイヤが研究された。ここで再認識されたのは構造とコンパウンドのトータルバランスが重要であるということだった。この研究は無限とのF1テストにおけるタイヤ開発にも当然フィードバックされ、1989年以降1994年まで6年間に渡りクリスチャン・ダナー選手、フォルカー・バイドラー選手、ジョニー・ハーバート選手、マウロ・マルティーニ選手、ハインツ-ハラルド・フレンツェン選手、鈴木亜久里選手らがトータルで2万キロ弱を走行した。そしてこの時点で現在のF1タイヤのベースは確立されたのだ。

 テストグループの報告は、技術統括の原田忠和副社長へ提出された。その報告書の最後には"技術的には2年間の猶予を与えてくれれば実戦参加ができる"と書かれていた。だが、当時ブリヂストンにはF1への参戦の計画は全くなく、小平の面々は「参戦できたらいいのに」と思いをふくらませただけだった。報告書の提出によってテストは一応目標を達成し、1995年にはテストは行われなかった。

「F1参戦を検討せよ」いよいよ実戦参加へ
 海の向こう、アメリカでは1988年にブリヂストンがファイアストンを買収。そのブリヂストン/ファイアストン・インクが1995年からインディカーレースにタイヤ供給を開始していた。そしてその年に初勝利、翌年にはサポートしたジミー・バッサー選手がチャンピオンに輝いている。ファイアストンはかつて1900年の初頭から1970年代まで築いた栄光の座へ再び駆け上がっ

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