ロードコースウェット用フロントタイヤ。サイズ:10.0/25.8R15。オーバルコースでは雨天時レースが行われないため、オーバルコース用ウェットタイヤは存在しない。

ロードコースウェット用リアタイヤ。サイズ:14.5/28.0R15。

ドルを外側に若干切りながら走行しなくてはならない。当然それは抵抗となるわけで、スピードダウンになるが、それを補うコーナーの脱出速度をスタガーは与えてくれるのだった。技術陣は左右のタイヤ外径をバランス良く微妙に調整することに労力を費やした。現在ではスタガーは、オーバルコース用に2種類用意している。

 1994年のテストでは、実際のレースが行われた直後に同じサーキットを使用してタイムの比較を行った。ファイアストンタイヤの実車走行テストは、当時シリーズ参戦を休止していたパトリック・レーシングとスコット・プルエット選手の協力で着々と進められていった。
 1994年6月にはインディ500マイルレースの舞台で初のスーパースピードウェイのテストを行った。このときは、ブリヂストンの持ち込んだタイヤの方が良い結果を示した。
 タイヤテストの実際の現場ではファイアストンのタイヤとかブリヂストンのタイヤというような呼び方ではなく、エンジニアもテストチームも「アクロン・タイヤ」「トウキョウ・タイヤ」という呼び方をしていた。実戦へ向けての準備が進み、スーパースピードウェイとストリートコースは「トウキョウ・タイヤ」、ショートオーバルコースとロードコースは「アクロン・タイヤ」を用いて参戦することとなった。各々のタイヤ製造技術と生産供給能力を考慮して、二分化を決定した。
 そして、いよいよ21年ぶりのカムバックを果

たした1995年シーズン、ファイアストンユーザーは、僅かに5名のドライバーを数えるだけだった。しかし、この歴史的なカムバックの年にファイアストンは2勝をマークした。タイヤの開発ドライバーとして活躍してくれたプルエット選手とアンドレ・リベイロ選手がともに1勝づつをオーバルコースで記録した。ファイアストンにとってこれらの勝利は、復帰初年度からその高性能をアピールするに十分だった。それ以上にエンジニアに大きな自信を与えてくれたのは、プルエット選手が初戦でベストラップタイムを叩き出してくれたことだった。


2つのシリーズがスタート、
そしてCARTの頂点へ
 1996年のシーズンは、アメリカン・トップフォーミュラにとって歴史的な年だった。インディ500マイルレースを主催しているプロモーターを中心とした新しい「インディ・レーシング・リーグ(IRL)」が発足して、既存のインディカー・ワールドシリーズ(CART)と2つのシリーズになった。
 ファイアストンは、その両シリーズにタイヤ供給を行った。スーパースピードウェイとショートオーバルコースの2種類を用いて行われるIRLでは、スーパースピードウェイのタイヤをブリヂストン、ショートオーバルコースのタイヤをファイアストンのエンジニアが担当して開発を行った。CARTでは2種類のスタガーを用意している

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