BRIDGESTONE MOTORSPORT 1999-2003
FORMULA ONE IRL INDYCAR / CART MOTO GP
FORMULA NIPPON JGTC F3 / NATIONAL FORMULA KART GYMKHANA DIRT TRIAL / RALLY
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全日本選手権レースとして史上初めて海外で公式戦を行った。(マレーシア・セパンサーキット)。灼熱の太陽の下、白熱のバトルに観客は沸いた。
2003年の劇的な
王座獲得をサポート


 2003年から車両レギュレーションが大幅に変更され、各自動車メーカーがこぞってニューマシンを開発、投入してきた。重量配分や空力が変化することによって、タイヤ開発にも大きな影響があったのはいうまでもない。シーズンの直前から前半戦はまさに手探りの状態でタイヤ開発を行って、三車三様のマシンに対してベストマッチングを探り出した。トヨタのスープラは、小型のターボチャージドエンジンから大排気量の自然吸気エンジンへ変更、トランスミッションを後方に移動した。日産のスカイラインGT-Rも、トランスミッションをエンジンの後ろから、マシンのリアセクションに移動させて前年とは全く違うウエイト配分とした。ホンダのNSXは、これまでミッドシップに横置きだったエンジンを縦置きに変更、トランスミッションをエンジンの前にレイアウトしてきた。もっとも大きな変貌を見せたスカイラインが開幕戦で実に8年ぶりとなるポールポジションを獲得する活躍を見せ、前年のチャンピオンクルーの駆るスープラが初戦を制した。しかし、NSX勢がシーズン序盤で苦戦を強いられ、ブリヂストンとしても改めてタイヤ開発を行い車両の性能アップとともにトータルパフォーマンスの向上に尽力した結果、シーズンの中盤戦で2勝を記録するまでになった。
 2003年のチャンピオン争いは、ブリヂストンがサポートするチーム間で最終戦・鈴鹿までもつれ込む状況となった。NISMO(スカイライン)とTeam Le Mans(スープラ)の戦いは、レース中の順位の変化でチャンピオンの行方が二転三転した末に1999年以来遠ざかっていたチャンピオンの座にスカイラインが返り咲いた。またチャンピオンドライバーの本山哲選手は、GTとフォーミュラ・ニッポンのダブルタイトルを獲得した。
 JGTCは、2000年、2001年にマレーシアのセパンサーキットでノンチャンピオンシップレースを2回行った後、2002年に同じくセパンで全日本選手権史上初めて海外のサーキットで公式戦を行い、今後も中国、アメリカなどに遠征してレースを行っていく計画がある。アジアやアメリカにGTレースを通じてブリヂストンの名をより広く示すべく、今後もサポートを行っていく。
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