BRIDGESTONE MOTORSPORT 1999-2003
FORMULA ONE IRL INDYCAR / CART MOTO GP
FORMULA NIPPON JGTC F3 / NATIONAL FORMULA KART GYMKHANA DIRT TRIAL / RALLY
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2002年から実戦参戦。MotoGPクラスでブリヂストンに初のポールポジションをもたらしてくれたJ.マクウィリアムス選手(ゼッケン99番)。この経験が2003年の表彰台獲得へと結び付いた。
 その後、わずか1ヶ月で500ccクラスへのチャレンジ構想をまとめ、リサーチを開始。そして、プロジェクトのGOサインが出された。その計画は、最短時間で成果を出すために考えられたものだった。125ccから250cc、そして500ccへと段階を踏むのではなく、また、同じサイズのスーパー・バイクから入るのでもなく、いきなりグランプリを戦っているのと同じ500ccのバイクでタイヤを開発して参戦へという、通常のプロジェクトの進行から見れば大胆なものだった。
 ホンダ・レーシング・コーポレーション(HRC)の協力を得てテストマシンを借り、チーム運営は、かつてホンダのワークスチームとして活躍したアーブ・カネモト氏に依頼。テストライダーは、より多角的にタイヤ評価を行うために伊藤真一選手、青木宣篤選手の2名を起用した。青木選手は現役のライダーであり、長い交渉の末にブリヂストンのタイヤ開発に全力投球すべく快諾を得た。
 後発の立場としてライバルメーカーに対抗するためには、何か新しいチャレンジが必要だった。経営会議でこのプロジェクトが承認されるとすぐに、プロジェクトチーム〈Rey Project〉が発足。開発部門のトップである井上 晧常務をプロジェクトリーダーに、本社直需のトップである岡嶋達也常務がサブリーダーとなった。〈Rey〉とはスペイン語で王者を意味する。
 実際のタイヤ開発は、レースタイヤ開発の経験がなく、それまでの固定概念を持っていない人材も含めて結成されたプロジェクトチームで実施。より科学的なアプローチによるタイヤ開発をめざした。そして、2001年1月にスペインのヘレスで最初の走行テストが行われた。
 GPバイクの出力は220馬力程度だが、タイヤの接地面積が小さいので駆動時のトラクションパワーは、4輪のF1と比べ単位面積当り1.5倍から2倍となる。ライダーの体重が約60キロ、バイク自体が約150キロ。合計約210キロが時速300キロ以上で疾走し、ライダーによって重心が異なり、走行中にはライダーの体の動きでタイヤにかかる荷重が大きく変化する。そこで実走行と並行して科学的にタイヤを開発、評価するために新たに試験機を造ることにした。それは、2輪専用の巨大なドラム試験機だ。これによってブレーキング時、加速時のトラクション、リーン時のタイヤに対する影響など全てを評価できるようになった。
2003年、MotoGP初参戦の玉田選手(ゼッケン6番)とブリヂストンのコンビネーションは後半戦に見事な結果を出した。 ブラジル・リオGPで3位表彰台を獲得した玉田選手。関係者の努力が実を結んだ。
ドライ用フロントタイヤR05J。
サイズ:125/600R16.5。
2003年後半戦から投入。従来品を上回るハンドリング性能とグリップ力で、初表彰台を獲得した。
ドライ用リアタイヤR02
G。
サイズ:190/650R16.5。
シーズンを通して安定した性能を発揮。コーナー進入から立ち上がりまでコントロール性能に優れる。
ウェット用フロントタイヤE05HZ。
サイズ:120/600R17。
排水性を重視したパタンは、特にヘビーウェットコンディションで安定した性能を発揮する。
ウェット用リアタイヤE
06AZ。
サイズ:190/650R16.5。
よりドライに近づけたパタンで、マシンの強大なパワーを受け止める。
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