BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
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99年~ 最初のワンメイク

コンペティターが去り、全チームにタイヤを供給することになったブリヂストン。
そこには前年までとは違う苦労が待っていた。

全チーム供給という戦い

グッドイヤーの勝ち逃げを許さなかったブリヂストンに、早速次の試練が待っていた。それは、全チームにタイヤを供給する「ワンメイク」ということである。

「全チームのサポートをしなければならないとなったとき、ウチには足りないものだらけだったんです。予算、人はもちろん、トランスポーターだって、もっと必要になってくる。そもそも生産体制として、1チームに何本供給できるのか......そこから考えなければならなかった」

そう述懐する安川自身が、その困難を打開するために奔走する。しなければならなかったのは、ブリヂストンにできることと、各チームに協力してもらうことの整理だ。

まず、ブリヂストンとして全チームに何セットのタイヤを供給できるのかを試算しなくてはならない。「タイヤが足りません」となっては、F1というレースそのものが立ち行かなくなるからだ。そこで安川がはじき出した数字は、250セットだったという。しかしこれにはチームからブーイングがあがる。"それじゃ足りない"と。しかし安川は、折れなかった。さらにテスト日数の制限についても安川は言及。また、予算面の問題をクリアするため、各チームにタイヤの使用料を支払ってもらうことに。

こうして、安川はワンメイクにおける供給体制を構築していくのである。

マネージメントの実務面を担当する堀尾も、同様に苦労を続けていた。
「最初は4チーム。次の年に6チーム。そしてワンメイクになって11チームを担当しなくてはいけなくなった。タイヤを運ぶトラックを揃えなくてはいけない。人も倍くらいに増員しないといけない。トラックも駐車場が足りないから、事務所の建っていた敷地内に駐めたんですが、地面が下がって文句を言われてしまったり......(苦笑)。会議室すらも足りなかったですね。それで、99年のシーズンの途中から新しい事務所を探すことにしたんです」

トップチームを抱える苦労

全チームとの最初の仕事は、98年のF1最終戦、日本GPが終わってすぐの鈴鹿サーキット。シーズンを終えたばかりの全チームがそのまま日本に残り、そこでブリヂストンのタイヤをテストしたのだ。そのテストで、おそらく一番忙しかったであろう浜島の印象に残っているのは、9年ぶりにパートナーとなるミハエル・シューマッハの仕事ぶりだった。

「慎重なんですよね、やり方が。ほかのチームは無理やりセッティングを変えるのに対し、ミハエルは習熟走行をじっくりと行い、そしてタイヤの内圧はどのくらいに設定すればいいか......そればかりをチェックしていました。たぶん、場所が鈴鹿であり、十分なパーツをチームが用意していなかったことも、そんなスタイルになった要因でしょうね。さすがだな、と思いましたよ。全体を見て、そのときにやるべきことを的確に行う......こんなヤツが敵だったのか、と。これからは敵にしなくて済むんだ......そう思いましたよ」

そして迎えた99年シーズン。ブリヂストンの課題は、各チームのタイヤの使い方を、いかに管理していくかということだった。例えば内圧。ブリヂストンは、安全面の確保を大前提として内圧を設定し、チームにアナウンスする。しかし、ライバルよりも少しでもグリップを良くしたいという思いから、推奨した数値よりも内圧を下げるチームが出てくる。そうすることでコーナリング時のタイヤが大きく変形し、接地面積が増すのだ。「戦っているのだから理解はできるのですが......」と浜島。だから、これはより激しい戦いを繰り広げるトップチームに見られる傾向だった。

「確かに安全面という意味でマージンを取っていたこともあり、チームが試した内圧でもってしまうこともありました。しかしタイヤの内圧を下げることは、バーストなどの危険性を高めることでもありますからね」

平等であるとアピールすること

ブリヂストンが全チームとパートナーシップを結ぶ中で最も難しかったのが、公平性を保っていることを理解してもらうことだ。

当時はシーズン中にも盛んにテストが行われていた。さらにフェラーリは、自らが所有するプライベートサーキットでもテストを行っていた。するとフェラーリから浜島に対し、「テストに来てくれ」というオファーが入るのだという。すべてのチームと公平な関係性を築くことに留意していた浜島は、テストへの帯同やチーム本拠地への訪問を平等にするといったことに腐心したそうだ。

こうして、さまざまなチームとの関係を築く中で、ブリヂストンもチームから多くのことを学び取って行く。
「マクラーレンと、この年からパートナーになったフェラーリとの違いで言えば、システム的なところ、マーケティング的なところはマクラーレンの方が上手かったですね。でも、フェラーリも成長してきましたよ。我々は全部のチームと付き合うから、『どのチームのどこがいい』がわかるんですよ。『このチームのマーケティングはいいな』『ここはエンジニアリングがいいな』というのがわかるし、いいところを吸収して自分たちにフィードバックするというようなこともやってきましたね」
堀尾はこう話す。全チームとの関係を築くことは苦労を伴ったが、ブリヂストンにも多くのフィードバックをもたらしてくれたのだ。

速いドライバーが勝つということを知らしめるために

ワンメイクとなったことで、この年の興味はブリヂストンを装着したトップチームの中で、誰が勝つのか、ということに絞られた。注目は、前年の覇者ミカ・ハッキネンとフェラーリを駆るミハエル・シューマッハ。ところが、この2人の戦いは意外な結末を迎えることになる。

ハッキネン40ポイント、シューマッハ32ポイントで迎えた第8戦イギリスGP。決勝前のウォームアップ走行を終えたところで、シューマッハはマシンバランスについての不満をチームに漏らしていた。メカニックが原因を探すが、最後までフロントサスペンションのダンパーの調子が優れなかったという。

結局、そのままレースはスタート。シューマッハはスタートで出遅れてしまうが、他車2台がスターティンググリッド上でエンジンストールし、赤旗ストップ。レースは振り出しに戻るはずだった。しかしその直後、ハンガーストレートからストウコーナーにアプローチしたシューマッハのクルマがターンインしようとせず、ほとんど減速もできぬままタイヤバリアに激突。自力でコクピットから出られないほどのダメージを負ったシューマッハは右足を骨折。長く戦線を離脱することになるのだ。

これでハッキネンがスムーズに勝ち続けるのかと思えば、さにあらず。「(ミハエルのチームメイトだった)アーバインががんばって、シーズン最後までハッキネンとタイトルを争ったんですよね。最終戦を前に復帰したシューマッハがそれをサポートしたりして......でも、最終的にはハッキネンが2連覇。個人的にいえば、よかったと思います。ハッキネンがタイトルを獲って」と、99年シーズンを振り返る浜島。

初めての単独タイヤサプライヤーとなったブリヂストンが掲げていた、「どこか特定のチームにとってのみ有利になることのない"公平性"を実現する」という目標は、ワンメイク初年度にして早くも達成されたと言える。なぜなら、シーズンを通じて、前年からブリヂストンタイヤを使ってきたハッキネンと、この年からタイヤをスイッチしたシューマッハ、アーバインがタイトル争いを繰り広げたからだ。

「ドライバーズタイトルは速いドライバーが獲るべきだ」(ミハエル・シューマッハ)

それはブリヂストンが目指した公平な戦いがあったからこそ、言えることでもある。

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