BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
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08年~ ブリヂストンの

2度目のワンメイク2年目となる2008年。
このシーズンは優勝者が7人も生まれた上、タイトル争いは最終戦ブラジルGPまでもつれ込む激戦となった。
その2つの事実が物語るのは、前年2007年にブリヂストンが掲げた"公平性"が、2年目も保たれたこと。
さらに前年以上にドライバーやチームが繰り広げる"ギリギリのバトル"に寄与できたということである。

命運が分かれた最終戦のファイナルラップ

その歓喜が長く続くことはなかった。一部始終をピットガレージで見ていた浜島は言う。「まさに光と影といった光景でした」と。
マクラーレンのルイス・ハミルトンとフェラーリのフェリペ・マッサが激しい戦いを繰り広げた2008年シーズン。タイトルの行方は最終戦ブラジルGPにもつれ込んだ。

ブラジルGP前の段階でトップに立っていたのは、94ポイントを獲得していたハミルトン。追うマッサは87ポイントで、両者の差は7ポイントである。優勝するための条件を整理すると、ハミルトンはマッサの順位に関係なく、5位以内でチェッカーを受ければいい。一方のマッサは多少複雑で、自身が優勝してハミルトンが6位以下、もしくは自身が2位でハミルトンが8位以下というのが必要条件だった。

土曜日の予選でポールポジションを獲得したのは、マッサ。一方のハミルトンは4番手。ともにタイトルの可能性を持って迎えた決勝レースを演出したのは、不安定な天候だった。

インテルラゴスを襲った大雨により、予定より10分遅れで始まったブラジルGP決勝。スタート直後にレッドブルのデビッド・クルサードがクラッシュし、セーフティカーが導入される波乱があったものの、ホールショットを決めたマッサが、次第に独走態勢を築いていく。一方のハミルトンは最初のピットストップを終えた後、6番手にまでポジションを落とすが、2度目のピットストップを終えるころには4番手につける。

このままレースは進行するかと思われたが、残り10周となったところで、インテルラゴスに再び雨がやってくる。ほとんどのクルマがスタンダードウエットにタイヤ交換するなか、トヨタはドライタイヤでコースにとどまることを選択。これが、レースの結果を大きく左右することになる。この時点でのポジションは、トップからマッサ、アロンソ、ライコネン、グロック、ハミルトン、ベッテルというトップ6。このままチェッカーとなれば、ハミルトンのタイトルがすんなり決まった。しかし残り2周となったところで、ベッテルがハミルトンをオーバーテイク。ハミルトンが6番手となってしまうのだ。

そしてトップでチェッカーを受けたマッサ。これでタイトル確定かと、フェラーリのピットガレージは大歓声に包まれた。しかし、その場にいた浜島は言う。

「僕はその輪には加わらず、モニターを見ていたんです。"まだハミルトンのレースは終わってないよ"と思いながら......」

マッサがチェッカーを受けてから、わずか数秒後、今度はマクラーレンのピットガレージから大歓声が沸き起こることになる。チェッカーが近づくにつれ強まった雨足に、ドライタイヤのままで走行を続けていたグロックが、ベッテル、ハミルトンに次々とかわされてしまったのだ。その結果、5位でチェッカーを受けたハミルトンが、ファイナルラップの逆転劇でタイトルを獲得するのである。

2度目のワンメイク供給1年目であった2007年はフェラーリのライコネンが1ポイント差で、そして2年目の2008年はマクラーレンのハミルトンがやはり1ポイント差でタイトルを獲得したこと。この事実が意味するものについて、浜島はこう語る。

「結果的には2年とも最後まで激戦の続く、とてもおもしろいシーズンになったと思っています。そして、その背景には我々ブリヂストンの公平なサービスと、確かな品質があった、と自負しているのです」

グルーブドタイヤ最後の年に工夫された、
"タイヤそのものを見せる"こと

1998年以来、F1はグルーブド(溝付き)タイヤで戦われてきた。ブリヂストンにとってそれはコンペティションの時代も、ワンメイクの時代も変わらぬことであった。しかし、FIAは、翌2009年シーズンからスリックタイヤを復活させることを決定するのだ。背景にあったのは、"クルマは遅くしたい、が、見せ場となるオーバーテイクは増やしたい"というFIAの意向を実現することだ。
当時F1は、ある課題を抱えていた。高騰する開発費を、いかに抑えるか......というものである。その難題に先陣を切って取り組んだのが、ブリヂストンだ。安川は語る。

「ミシュランがF1を去った2007年。全チームにタイヤを供給することになった段階で、テストを制限してもらったんです。まず年間の走行距離を上限3万キロとしました。そして、当時、フェラーリやトヨタに供給していた年間1万6000本のテスト用タイヤを10分の1以下の300セット1200本にしてもらったんです。供給数は、年を追うごとにさらに減らしていきました。これにはチームはもちろん、ブリヂストンの開発陣からも反発はありましたよ。しかし、企業にとってのF1というものを考えたとき、コストを抑えるということは、考えなければならない必須テーマだったのです」

天井知らずの勢いで高騰するF1チームの予算は、最初は"持てるチーム"と"持たざるチーム"の戦力格差を生んだ。次に全世界的な経済危機を迎えると、"持てるチーム"といえども大きな影響が出てくる。"勝利のために研究開発は進めたい。しかし、予算は厳しい"というジレンマだ。この事態を憂慮したFIAは、ときにF1チームと激論を戦わせながら、ついにクルマ作りに関わるレギュレーションを変更する。

その結果決定されたのが、 "速くなりすぎたスピードを抑えるために、翌2009年シーズンから最新鋭のデバイスを禁止し、エアロダイナミクスを制限する"というレギュレーションの改定であり、それらによって削られたグリップレベルを補填するために、"スリックタイヤを復活させる"ということなのであった。メカニカルグリップの低下によりコーナリングのスピード自体は落ちる。しかし、タイヤのグリップを向上させることでブレーキング時・立ち上がり時の安定性を高めてオーバーテイクを誘発する──というのが狙いだったのだ。

以上の決定により2008年シーズンが最後となったグルーブドタイヤ。
「タイヤの構造というのは基本的には変わっていません。ゴムのポジションを変更した程度」
浜島は語ったあと、こう付け加えた。
「あっ、それとタイヤの見せ方は考えました」
タイヤの見せ方の工夫とは、具体的には次のようなことだ。

レース中に、2種類のコンパウンドのどちらのタイヤを使用しているか......それが観戦しているファンにわかるよう、ソフト側タイヤのサイドウォールに白丸のマークをペイントしたのだ。
ひとつのきっかけとなったのは、2007年にレギュレーションが変わり、レースでハード側とソフト側の2種類のタイヤを使用しなければならなくなったことにあった。 それをわかりやすく知らしめるため、開幕戦ではソフト側のタイヤに白い円マークをつけたブリヂストン。第2戦からはさらに見やすくするため、ソフト側のタイヤにホワイトラインを引いたのだ。
2008年も、このホワイトラインは継続。するとこの年の日本GPでは、さらにタイヤを見せることに工夫が施される。ソフト側のタイヤにはホワイトライン以外の3本の溝に、ハード側のタイヤは4本の溝すべてに、グリーンラインが入れられたのだ。これは、以前からFIAとともに推進していた環境啓発活動、「MAKE CARS GREEN(エコドライブで地球にやさしく)」キャンペーンと連動したものであった。

「タイヤの性能をアピールすることもさることながら、タイヤそのものを見ていただくパフォーマンスというものも、大事なんですよね。タイヤは文字通り縁の下の力持ちですが、レースに勝とうというときにも、一般のドライバーがエコドライブをしようというときにも、要素として欠かすことができないもの。それをもっと知ってもらいたかったのです」

トロロッソ、そしてベッテルが勝利した意味

前述したように、2008年シーズンは実に7人もの勝者が生まれた。マクラーレンのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサとキミ・ライコネン、ルノーのフェルナンド・アロンソ。そしてキャリア初優勝を記録したドライバーが3人。BMWザウバーのロバート・クビサ、マクラーレンのヘイキ・コバライネン、そしてトロロッソのセバスチャン・ベッテルである。中でもチームの地元といえるイタリアGPを制したベッテルの優勝は、印象的なものであった。

シーズン屈指の高速コースとして知られるモンツァだが、この年は天候が勝敗を大きく左右した。まず雨の中で行われた予選。ここでハミルトン、ライコネン、クビサといった強豪が予選Q2で敗退。雨天の時の戦い方の王道を行ったベッテルがポールポジションを獲得する。

翌日迎えた決勝も雨。深溝の入ったエクストリーム・ウェザータイヤを装着して、セーフティカー先導のままレースはスタートする。強い雨のため、波乱のレースになるかと思われた。しかし実際は序盤にフォース・インディアのジャンカルロ・フィジケラがリタイアとなった以外に脱落者もなく、ベッテルがポール・トゥ・ウィン。自身初の、そしてトロロッソにとってもチーム初の、優勝を飾るのである。

そんなベッテルの優勝を「足元から支えた」と自負するのが、タイヤエンジニアとして現場にいた小林徹郎だ。

「ベッテル選手が速いドライバーであることは、すでに前々から注目されていました。とはいえトロロッソ+ベッテル選手のパッケージが、トップチームに対抗できるものであると考える人は多くなかったと思います。ただし、それはドライ・コンディションにおいてのこと。ご存知のように、ウエット・コンディションではドライバーのレベルがはっきりと表れます。この年のイタリアGPは、まさにそういうことではなかったでしょうか。ベッテル選手のウエット・コンディションにおける安定した速さが証明され、その優れたドライビング能力が改めて示されたレースだったと思います。そしてレースの間中、安定した性能を発揮したブリヂストン・タイヤだからこそ、彼のパフォーマンスを足元から支えることができたんだと自負しています」

小林と同様、浜島もベッテルに最大級の賛辞を贈る。

「攻めて、勝ち取った優勝。見事でしたね。当時はタイヤについて聞きに来ることが多かったわけじゃありません。ただ、タイヤについてのコメントは的確でしたし、使い方もうまかったと思います」

そんなベッテルが、史上最年少チャンピオンとなるのは、それから2年後。ブリヂストン最後の年、2010年のことである。

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