BRIDGESTONE F1活動14年の軌跡
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00年~ 「永遠のライバル」との最終決戦への序章

ワンメイク2年目は、シーズンの戦いも去ることながら、サーキットの外にニュースの多い一年であった。
アメリカで起こったファイヤストンの問題、そしてF1のフィールドにミシュランが戻ってくるというニュース。
再びのコンペティションに向けた準備が、水面下で進んでいた。

心に残るレース、2000年ベルギーGP

ワンメイク2年目の2000年。98年以来続いていた、シルバーアロー(マクラーレン)と跳ね馬(フェラーリ)の戦いは、徐々にではあるが、その様相を変化させてくる。そこでもブリヂストンの大切な役割は、公平で安全なタイヤを供給すること。そのうえに立ったフェアなバトルが、この年も各地で展開された。その最たるものが、第13戦ベルギーGPだった。グランプリ史に残ると言われるミハエル・シューマッハとミカ・ハッキネンの高速バトル。2人の意地と意地がぶつかりあったレースであったことは、浜島の興奮気味の口ぶりからもうかがうことができる。

「素晴らしいレースでした。シューマッハが先行し、ハッキネンが追いかける展開。そして41周目のオー・ルージュを駆け上がった2台は、そのままケメル・ストレートへ。前方にBARのリカルド・ゾンタが迫ってくる。ストレートが終わる直前、シューマッハはアウトからゾンタを抜きにかかると、ハッキネンは逆にインへ。2台まとめて抜き去る、ハッキネンの鮮やかなオーバーテイク。......あのシーンは、僕が14年間いたF1の中でまさにベストシーン」(浜島)

その歴史的なオーバーテイクは、路面がまだところどころ濡れているコンディションの中で展開された。その状況下での駆け引きに2人のすごさが感じられる。

「濡れている縁石に乗らないよう、30cmくらい開けて2台が走っている映像があるのですが......あの2人はお互いをきちんとリスペクトしていた。だからこそできた、素晴らしい戦いでした。繰り返しますが、個人的には2000年ベルギーGPがベストレース。"こんなバトルがあるのか!"と感嘆してしまうほど、すごいレースでした」

フェラーリとの新しい関係のはじまり

2000年シーズン途中に入ってきた、一つのニュース。「ミシュラン、F1参戦へ」。まさにブリヂストンにとっては、晴天の霹靂だったのかもしれない。浜島は「本当に来るの? と思った」と、一報を聞いたときの感想を語る。その一方で、ブリヂストンのF1活動におけるマネジメント部門を統括する安川は、別のことを考えていた。「どのチームが離れていくか?」と。

「BMW、そしてトヨタのF1への動きと呼応するように、ミシュランがF1に戻ってくるということになりました。その時点ではF1はウチのワンメイク。当然、ウチを離れてミシュランへ行くチームが出てくるわけです。そこで、どこをつなぎとめておくか......その検討を始めたところで、最初に"ずっとやっていこうと思っている"と表明してくれたのが、フェラーリでした」(安川)

2010年、最後まで続くフェラーリとの良好な関係は、このときから始まったといえる。あるとき、フェラーリのファクトリーを訪ねた安川は、「ブリヂストンと似た雰囲気を感じた」という。フェラーリといえば、その本拠地の周辺には美術館があり、社宅があり、"会社組織"でありながら非常に"ファミリー"を意識させる企業だ。安川はそこに、ブリヂストンと通じるものを感じたのだという。しかしその一方で安川には懸念すべきこともあった。

「歴史を振り返ると、フェラーリはときに成績不振をタイヤのせいにすることがあった。もちろん、それはニュース記事のバックナンバーからうかがい知ったにすぎないわけですが......。そこで、私たちはあるとき、ジャン・トッドさんに、"そういうことはお互いやめましょうね"と伝えました。彼もそれに同意してくれました。そして実際、フェラーリとのコラボレーションの中では最後まで、その手のトラブルはありませんでしたね。我々が確かな信頼関係でつながっていたということでしょう」

そしてフェラーリのミハエル・シューマッハは、この2000年から2004年まで、前人未踏の5年連続王者獲得という記録を、ブリヂストンとともに打ち立てるのである。

ミシュランがやってくる?

ミシュランがF1にやってくるという一報を聞いたときに感じたのは「本当に来るの?」ということ。浜島はそう述懐した。ミシュランはヨーロッパ市場において、十分すぎるほどの信頼度を得ている。F1に参戦していなかった2000年当時でさえ、ヨーロッパでは「ミシュランはF1をやっているもの」と考えている人がたくさんいたくらいなのだ。いまさらブリヂストンと同じ土俵に立たなくてもいいではないか......というわけだ。

しかしその一方で、浜島の胸に去来するもう一つの思いがあった。「リベンジしてやる」という思いだ。

「80年代にブリヂストンが初めてヨーロッパに出て行ったときは、コテンパンにやられました。90年代初めのDTMでは、ハード面に関しては互角以上の戦いでチャンピオンを獲得しました。しかし、サービスなどのソフト面を含める と、完全に勝ったとは言えなかったですね。だから今度こそ完全に叩 いてやる、と。おそらく、これが最後の頂上決戦になるだろうという思いもありましたから」

2000年シーズンが進むうちに、次第にミシュランがどのチームと組むのかが見えてくる。トヨタ、BMWというビッグネーム、そしてブリヂストンから移って行こうとするチームも。それを見て浜島は「さすがにすごいな」と思ったのだという。

「僕たちがF1に参入したとき、一緒にやってくれたのは......失礼な言い方ですが......中堅チームでした。ところがミシュランには、やはり強いチームが行く気になっている。それは、すごいと思いましたね。モータースポーツにきちんと取り組んでいること、そしてヨーロッパに根付いていることの証ですから」

その背景には、もちろん政治力というものもあっただろう。しかし、それにしてもきっちりとヨーロッパのモータースポーツ界に根付いているからこそ発揮できること。ミシュランは、まだ参戦する前からブリヂストンに対してプレッシャーを与えてきていたのである。

迎え撃つための準備をしなければ

「私はコンペティションのときに、呼ばれるんですよ!」

80年代、ブリヂストンがヨーロッパに最初に打って出たときのメンバーでもあった菅沼は笑う。その当時から「いつかはF1をやりたい」と熱望していた菅沼に、ついにそのチャンスが訪れるのが97年シーズンオフ。「翌年から陣営に加わるマクラーレンを担当するように」として呼ばれるのだ。そのときのことを菅沼は昨日のことのように記憶している。

「冷静に"わかりました"と答えましたが、心の中はまったく違ってました。"やったぁ! ついにF1だ!!"とガッツポーズです」

そんな菅沼だが、グッドイヤーがF1から去ると一度F1担当から外される。そして再び召集されるのが、ミシュラン対策要員としてであった。

「その当時は国内レースやDTM、FIAのGTなどを担当していたのですが、"ミシュランがやってくる。そのための開発テストを行うので、面倒を見て欲しい"と。2000年の後半からはイギリスに渡り、新しいテストをやっていました」

ミシュランに対するためのタイヤテストは、グランプリとグランプリの合間に行われる合同テストの場でも行われた。どのタイヤがミシュランを意識したものかは当然公表されなかったが、「明らかにラップタイムが違うので、どれが開発タイヤかは、わかる人にはわかったと思います」と浜島は言う。

こうしてブリヂストンは、2度目のコンペティションに向け、そして最大のライバルであるミシュランを迎え撃つための準備をしながら、2000年シーズンを戦い続けたのである。

「ファイアストン・ショック」でわかったこと

この年、F1とは直接的な関係のないことだが、ブリヂストンにとっては看過できない大きな問題がアメリカで発生する。ファイアストン・タイヤのリコール問題である。これはフォード社製SUVに発生したトラブルの原因に対し、ファイアストン・タイヤに問題があるとの言及があったことで、リコールしたもの。その騒ぎの大きさに、「ブリヂストンはモータースポーツ活動を縮小するのではないか」と報じるメディアもあるほどだった。

「世間で言われるほど、社内はバタバタしていなかったんです」と浜島は当時を振り返る。「上層部がしっかりしていましたから。やめるどころか海崎社長(当時)は、"INDYはしっかりやりなさい。やめたら、おしまいです"と話していたほど。だから社内には、モータースポーツをやめるという考えはまったくなかったと思います。......幸せなことですよね、僕たちにとっては」

ブリヂストンを勇気づける動きは、アメリカ国内にもあった。INDYに参戦するドライバーたちからメッセージが寄せられたのだ。

「だって、あのアンドレッティ親子が"ファイアストンは大丈夫だ。レースで問題は起きていないだろ!"というメッセージを寄せてくれるんですよ」(浜島)

これはファンに対し、大きな説得力を持った。そして、この超一流のドライバーたちのメッセージが、きちんと一般の自動車ユーザーにも大きな影響力を持っているという事実は、日本と欧米のモータースポーツの捉え方の違いを如実に表していたといえよう。

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