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モータースポーツがつくり上げた
「POTENZA」ブランドイメージ
1970年代に入ると、日本の高度経済成長期と歩調を合わせるように、国内モータースポーツも若者層を中心とし一気に活気を帯びていった。ブリヂストンは、幅広いカテゴリーにタイヤを供給するとともに、モータースポーツ活動を通じて市販タイヤの販売促進活動を展開した。1970年代後半から市販用タイヤ市場にも高性能タイヤが次々と投入されるようになり、その市場で高い人気を獲得すべく〈ヤング&マニア戦略〉を展開。高性能乗用車用タイヤと同じ「POTENZA」ブランドのモータースポーツ用ラジアルタイヤでレースに参戦した。モータースポーツでの活動が販売とシンクロしていき、POTENZAは高性能乗用車用タイヤとして国内トップブランドの地位を築いた。
そして、世界のトップブランドへの挑戦
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星野一義vs中嶋 悟。日本を代表するドライバーの全日本F2現役時代の勇姿。1981年にトップ争いを演じる2台。 |
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国内で確固たるブランドを築きながら、世界的にはまだ無名だったブリヂストンが、次なるターゲットとしたのはヨーロッパだった。1980年代当時、F1へと続くカテゴリーであったヨーロッパF2選手権に参戦を開始したのだ。1981年シーズン途中からのチャレンジであったが、初戦の予選でいきなりフロントローを独占。2戦目で初優勝を記録。ブリヂストンユーザーがその年のチャンピオンに輝くという強烈なインパクトと素晴らしい成果を示した。ヨーロッパでの活躍は、海を越えた日本市場においても「POTENZA」ブランドのイメージアップに大きく貢献した。 |
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