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F1参戦最初の年は、プロスト、アロウズ、スチュワート、ミナルディの4チームと契約を結んでタイヤを供給した。初年度は中堅チームとの契約だったが、開幕戦でプロストのオリビエ・パニス選手が5位でフィニッシュし、いきなりポイントを獲得。第2戦目には、パニス選手がブリヂストンタイヤの耐摩耗性の高さを活かして追い上げ、早くも3位表彰台にのぼった。初めてブリヂストンの赤いキャップを被ったドライバーがF1の表彰台の一角を占めたのだ。
ブリヂストンのタイヤは、当時のライバルであるグッドイヤーに対し耐摩耗性に優れていた。そのためチームにワンストップ作戦を提言し、それが見事に的中しての表彰台だった。それまでタイヤメーカーが積極的にチームの戦略に関与することのなかったF1で、タイヤメーカーとしてともに戦い信頼関係を築けたことは画期的な出来事だったといえる。
ブリヂストンタイヤの初年度の活躍に、トップチームは熱い視線を送っていた。F1参戦2年目のシーズンには、初年度の4チームに加えてトップチームの一角、マクラーレンとベネトンが加わり6チームに対してサポートを行った。マクラーレンのサポートに関しては、エンジンを供給しているメルセデス・ベンツがブリヂストンタイヤを使うことを進言した。かつてDTM、ITC、FIA-GTのサポートを通して築いた深い信頼関係の賜物だった。
テストを積極的に行うマクラーレンの参画によって、タイヤ開発は一気に加速した。そして、同チームとともに、一気にF1の頂点への階段を突き進んでいく。参戦わずか2年目で世界のF1の頂点を極めるに至ったのである。この記念すべき年、ブリヂストンが供給するF1タイヤには、それまでの「BRIDGESTONE」のロゴに加え、「POTENZA」のロゴが新たに刻まれた。POTENZAをワールドブランドとしてアピールするための取り組みであった。 |
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