BRIDGESTONE MOTORSPORT 1999-2003
FORMULA ONE IRL INDYCAR / CART MOTO GP
FORMULA NIPPON JGTC F3 / NATIONAL FORMULA KART GYMKHANA DIRT TRIAL / RALLY
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序  章
日本の近代モータースポーツの歩みとともに

 ブリヂストンがモータースポーツの世界に一歩を記してからすでに40年という歳月が流れている。日本の近代モータースポーツの幕開けを告げた1963年の第1回日本グランプリ(鈴鹿)に参戦以来、現在に至るまで、ブリヂストンはモータースポーツの現場で技術と情熱を切磋琢磨し続けている。さらにモータースポーツは、時代の流れとともにグローバリゼーションが進む中で「BRIDGESTONE」のコーポレート・アイデンティティーを確立する絶好の場であり続けている。
 第1回日本グランプリに、ブリヂストンは一般の乗用車用タイヤで参加した。そのため、自動車文化発祥の地であり、乗用車用タイヤ開発において一日の長のある欧米との技術力の差を目の当たりにすることになった。この経験を経て、3年後の1966年にレーシングタイヤを開発しモータースポーツの頂点をめざすブリヂストンの挑戦がはじまったのだ。
 レーシングタイヤの開発に着手してから1年後に、ブリヂストンは最初の目標であった日本グランプリを制することに成功する。モータースポーツ先進国との間にあった差を短期間で埋めてしまったブリヂストンの技術陣は、開発の手をゆるめることなく、さらなる栄光をめざしていく。1970年代に入るとすぐ、F1でドライ専用にトレッド面の溝がないスリックタイヤが使われはじめた。これまでのタイヤコンセプトを大きく変化させたこの流れに迅速に対応したブリヂストンは、1971年の10月に国産初のスリックタイヤを開発。現在では当たり前となっているドライ用スリックタイヤとウェット用グルーブドタイヤ(溝つきタイヤ)というコンセプトは、このとき確立された。
1965年、船橋サーキットで行われたクラブマンレースで伝説のドライバー浮谷東次郎選手がブリヂストンタイヤを駆り雨のレースで圧倒的な速さを示した。
1969年、富士スピードウェイで行われた第6回日本グランプリ。国内自動車メーカーの繰り出すマシンとプライベーターの戦いが激化。同レースでは日産のR382が優勝している。
1970年代になって最も人気のあった富士グランチャンピオンシリーズ。1973年チャンピオンの高原敬武選手ら計6名のドライバーをフルサポートした。
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