ジムカーナの魅力を普段とは違った角度からお届けしようと始まったリレーインタビュー。リレー方式ですので第2回は前回のインタビューを受けてくださった山野哲也選手にインタビューしたい人を指名して頂きました。今回指名頂いた理由は「未知な(不思議な?)ところがあるから」という事で、第2回のゲストはユウ選手です。今回もブリヂストンのWEB会議システムを使ってインタビューを実施していきます。
山野選手(以下山野):それではインタビューを始めさせていただきます。第1回目は山野が山内さんから色々と質問を受けてお答えしていく形を取りましたが、第2回目は山野がユウに質問をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
ユウ選手(以下ユウ):はい。よろしくお願いします。
山野:まず、私がユウに感謝していることからお伝えしたいと思います。
ユウ:ええ?なんでしょう?何かありましたっけ?
山野:2015年のエビスサーキットの全日本、ユウが86、山野がBRZで同じクラス。
ユウ:はい。
山野:この大会でユウが優勝しました。
ユウ:は、はい。
山野:で、その時、山野は2位でした。
ユウ:はい。
山野:実はその経験のお陰で、山野が強くなったんです。
ユウ:あぁぁぁ、、、、(声にならない声でのお返事。)
2015年全日本Rd.3エビス表彰台
山野:要は何が言いたいかというと、負けた時の悔しさみたいなものが、その人を奮い立たせるわけですよね。私を奮い立たせてくれた、その張本人がユウだったということなんだよね。
ユウ:わぁ。(苦笑)
山野:その年の後半戦に入るとき、これから勝負だという時期に差し掛かって、今まで自分がさぼっていたセッティング、ここまでやらなくても勝てるから大丈夫だろう?と思って、脇に置いておいたセッティングのアイディアを一からやり直して、今までやったことの無いセッティングに挑戦できたんだよね。その結果、よりうまくタイヤを使えるようになって、後半戦ではユウにも負けなくなったということを経験させてもらったんだ。
2015年ユウ選手のマシン(TOYOTA 86)
ユウ:ああ、思い出しました。あの年なんですけど、確か山野さんがSUPER GTか何かで(注:パイクス・ピーク参戦のためでした)北海道の砂川大会をお休みしていたので、いらっしゃらない間に勝って、ポイント差を縮めたかったんですが、そのどうしても勝ちたかった砂川で勝てなかったんですよね。それと第2戦が雨の鈴鹿で、そこも山野さん以外の方に負けた年でしたね。この2戦のどちらかが勝てていればシリーズランキングで山野さんにも勝てていたはずなんです。勝負にタラレバが無いのは分かってるんですけど、なんであの2戦を落としたんだろうっていうのが、すごく自分の中で悔やまれた年でしたね。
山野:競技人生の中、あの一戦がなければなというのは、よくある話だね。
ユウ:そうですね。
山野:そういう経験も乗り越えてドライバーは強くなっていくんだね。それじゃ、経験という意味でユウのこれまでの競技人生について聞いていきたいんだけど、最初はどうやってジムカーナに出会ったの?
ユウ:出会ったのは、確か二十歳の年だったと思います。知ったキッカケとしては、少し時間を遡ることになるんですけれど、私はクルマの競技を始める前は、マウンテンバイクとスキーのアルペンで競技をやっていたんです。そのマウンテンバイクの方の仲間のお父さんが、若いころに私の今の所属チームであるニュートンランドにお世話になりながらダートラをやっていたんです。
山野:へぇ、そうなんだ。
ユウ:自分は免許を取った後、当時はフォレスターに乗って遊んでいたんですけど、私の遊ぶ様子を見て、その仲間のお父さんが「競技をやってみたら」って勧めてくれたんです。最初は相模湖ピクニックランドでやっていたニュートンランドの練習会にお邪魔して、現地でチーム員の方のクルマをお借りしてジムカーナに初挑戦したんですが、それがすごく楽しかったのを覚えています。
当時ユウ選手が乗っていたスバルフォレスター
山野:その時に初めてやってみて、手ごたえというか、俺イケてるなっていう感じはあったの?
ユウ:当時フォレスターでスピンターンの真似事みたいなことができないかな?というのにチャレンジしたんですが、やってみると難しくてうまくできない。でも、ジムカーナの競技車として作られた車でやってみたら、スピンターンできて、「あ、できるじゃん!」ってすごく高揚したのを覚えてますね。
山野:なるほど。では競技に初めて出たのはいつ?
ユウ:確か、21歳の時に、練習会での様子を見たニュートンランドの佐藤社長が、私のことを「こいつ面白いな」って思ってくれたみたいで、競技に誘ってくれたんです。うちでクルマを貸してあげるから、神奈川県戦にでてみなよ?って。それで、借り物のDC2でシリーズ参戦したんです。
山野:で、成績はどうだったの?
ユウ:一応、シリーズチャンピオンを獲って。
2006年神奈川ジムカーナシリーズ表彰台
山野:はいはい。
ユウ:その次のステップとして、これまた佐藤社長から「やるならば、頂点を目指しなよ」というアドバイスを受け、全日本選手権への参戦を進められるんですが、そこは金銭的な面で、すぐには出られなくて、2年ほどシリーズ戦はお休みして準備をしました。それを経て25歳の時、2009年にニュートンランドのチーム員の方から全日本に出てたインテ(DC2)を譲ってもらって、その年から全日本に挑戦したという流れです。
山野:で、その年、チャンピオン獲ったっけ?
ユウ:いやいや(苦笑)もう本当にボロボロで、その当時、イイケンさん(飯島賢治 選手)が絶対王者的な感じだったんですけど、平気で2~3秒も置いていかれて、こんなに実力差があるもんなんだと痛感したんですよね。そのあまりにもうまくいかないことが面白くなっちゃって、ハマったって感じだったと思います。ジムカーナのことは知ってはいたんですけど、レースとか、ラリーとかが面白そうだなと漠然と小さいときから思っていて、競技をはじめた当時もジムカーナそのものは、そんなにどっぷり長くやるつもりではなかったんです。けど、すごく差があったものがちょっとづつ縮まっていくのが面白くなっちゃって今も続いているって感じです。
最初のマシン(ホンダ・インテグラ)
山野:面白くなっちゃった訳だね。面白くなっちゃったジムカーナだけど、ジムカーナの面白さって、もうちょっと詳しく聞くとどんなところだと思う?
ユウ:まず私に合っているなと感じるのは、他者がいないっていうところです。レースと違って、クルマやコースの攻略に集中できるところが一つ目のポイントだと思います。次に、一回の走行が比較的短いので、練習でも確認したいことを凝縮して試せるところが性に合ってると思います。競技をウォームアップ走行しないでやるっていうところも、クルマを冷ませば同じコンディションが簡単に作れて、純粋に試したいことが比較し易くて、クルマのセットアップの仕方が、すごく勉強しやすいという点も好きなところですね。それと最後に、コースが毎回変わるので、地の利に左右されにくいところも面白さのポイントだと思います。運転手の引き出しの数と、それにこたえられるクルマを持っていけるか?の勝負で、事前に積み重ねた準備で勝負できるところが魅力ですね。
全日本初優勝 2012年Rd.3名阪
山野:ジムカーナってそもそも、競技に出会うきっかけが少ないよね。その少ない出会いで、面白さ、勉強になるってところを感じてくれて、もう何年続けてる感じ?
ユウ:途中2年お休みしてるので12年ですかね。
山野:12年ね。ジムカーナを先に始めていた者として見ると、後に続けて来てくれて、そのジムカーナの楽しさを芯から理解してくれて、それをずっとやり続けてくれているっていうのは、すごくうれしいことだよね。それから僕も他のレースやったりしたけど、ユウが他のカテゴリにチャレンジしてくれているというのは、すごくうれしいことだし、それは、よりジムカーナの認知度を上げることに繋がってると思うんだよね。
ユウ:そうですね。認知を上げたいですよね。
山野:この認知を上げるってところは、一緒にこれからもやっていきたいなって思っているところです。
ユウ:はい。よろしくお願いします。
(編集部)さて、ユウ選手がジムカーナに出会ってから、全日本選手権に出場。当時のトップ選手との実力差に完全にハマってしまうところまでを山野選手と振り返っていただきました。この後、山野選手は少しジムカーナを離れて、ユウ選手の素顔に迫っていきます。後編もお楽しみに。