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■フォーミュラ1
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2003年、前人未踏6回目のチャンピオンを獲得したフェラーリのミハエル・シューマッハ選手がレース直後にブリヂストンのガレージを訪れ、スタッフ全員に感謝の意を表してくれた。 |
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現在の栄光につながる
F1参戦での幸先よいスタート
6年連続のチャンピオンタイヤ・・・。文字にすれば簡単なことのように思える。しかし、この6年間はモータースポーツの最高峰にあるフォーミュラ・ワン(F1)にとって革新と変化の時代だった。タイヤにとっては激動の時代をブリヂストンは闘い抜き、勝者として栄光をつかみ続けてきた。
1998年、ブリヂストンはF1参戦を開始して2年目にマクラーレンとともに初のチャンピオンを獲得した。感動の最終戦、舞台は日本の鈴鹿。マクラーレンはこの年、ミカ・ハッキネン選手がドライバーズタイトルを初めて獲得。同時に1991年以来7年ぶりのコンストラクターズタイトルも手にして2冠を達成した。鈴鹿サーキットに詰めかけた18万人の観衆の前でブリヂストンは頂点に立ったのだ。
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2003年、史上最多6度目のチャンピオンに輝くミハエル・シューマッハ選手。彼のタイヤに対する関心は他を圧倒する。 |
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F1撤退を発表していたグッドイヤーとの最終決戦を制したブリヂストンは、翌1999年からF1のワンメイクタイヤサプライヤーとして重責を担うこととなった。チャンピオンタイヤがサプライヤーとなることは、至極当たり前のようでもあるが、ブリヂストンにとってはF1参戦3シーズン目。まだ多くを経験していないこの時期にF1全チーム全車を支えるというのは新たなチャレンジだった。まず、これまでより圧倒的に多くのタイヤを製造して供給しなければならない。そして、現場のマネージメントとしては、トップチーム間の守秘義務をスタッフに徹底。また、タイヤの摩耗などに関するコンサルティングは、チームごとに偏りがないように行わなければならない。そこで、各チームに対し、摩耗状態などが全チームのタイヤの中でどの位置にあるかを提示。具体的にはドキュメントを作成し、"あなたのチームのタイヤ摩耗は、何番目に良い"といった位置づけを説明したのだ。これは、ワンメイク供給特有のコンサルティング手法だった。
以上のようにワンメイクタイヤサプライヤーとしての負担はあったものの、参戦からわずか3年目にしてF1に参戦する全てのチームと関係を持つことができたことは、何ものにも代えがたい財産となった。ミーティングを通して、各チームの特性を把握することができた。タイヤ側からマシンのパフォーマンスを向上させるさまざまなアプローチ、タイヤに対するチームの見識、タイヤとマシンと一体となった開発の重要性などノウハウとして得るものが大きかった。
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