BRIDGESTONE MOTORSPORT 1999-2003
FORMULA ONE IRL INDYCAR / CART MOTO GP
FORMULA NIPPON JGTC F3 / NATIONAL FORMULA KART GYMKHANA DIRT TRIAL / RALLY
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1999年、ワンメイク供給初年度。マクラーレンのミカ・ハッキネン選手がドライバーズタイトルを連覇した。
 また、プロモーションの点からは、F1をブリヂストンが支えているということを世界中にアピールすることができた。全世界に放映されるF1のテレビ中継全戦で「BRIDGESTONE」のロゴを配した看板が映し出され、参戦を通じ世界的にブランドイメージの向上に大きく貢献した。さらに毎戦パドッククラブ(VIP用ホスピタリティスペース)に各国の重要顧客を招いてより良好な関係を築くことができた。
 またデータでは、ヨーロッパの5大国で1996年にブリヂストンのブランド認知度(純粋想起)が13%だったものが、2003年の調査では34%にまで上昇している。2004年からは中国、バーレンなどでもF1が開催される予定だ。これを機に、アジア全域、中近東でブリヂストンのブランドイメージをより向上できると考えられる。
ラップタイムを抑えるタイヤ開発、
ミシュランの参戦


 参戦2年目に早くもチャンピオンタイヤとなり、ワンメイクサプライヤーとなっていく間に、ブリヂストンはモータースポーツ用タイヤ開発史上、初めての経験をした。それは、1998年にドライ用タイヤが、それまで四半世紀使われてきたスリックからトレッド面に溝を配しグリップをダウンさせたグルーブドタイヤとなったこと。そして1999年からは、さらに性能をレベルダウンさせたタイヤを供給するようにと国際自動車連盟(FIA)から申し渡されたことだ。その通達は、各サーキットにおけるラップタイムを2秒から3秒遅くするというものだった。速さを追求するコンペティションの世界において初めて経験することである。
路面温度を測定するスタッフ。ライバルに勝つためには細かい作業の積み重ねが欠かせない。
 翌1999年からはフロントタイヤの溝が1本増やされてリアタイヤとともに4本となった。接地面積が減少することでレベルダウンは容易であると一般的に考えられていたが、グリップフィーリングを維持したままラップタイムを遅くするというアプローチは、高度なエンジニアリングを必要とした。

 ワンメイク供給を開始してからほどなくして、ミシュランがF1に復帰するというニュースが伝わった。F1に復帰しコンペティションの場に身をさらすということは大きなリスクを伴うことであり、それを本当にミシュランが最終決断するのかが注目を集めていた。しかし、ミシュランは動いた。2001年からの参戦を正式発表したのを受け、ブリヂストンとしては、2000年の終盤から投入するタイヤのスペックを、翌年からのコンペティションの再開をシミュレートしたものとした。イメージとしては、闘って勝つという状況の方が圧倒的に良い。だが、負けたなら・・・。エンジニアや製造に従事するスタッフ達にとってもコンペティションは大きなプレッシャーであったが、それは相手も同じことだった。

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