東京都武蔵野市で生まれ、主に府中市で育ちました。小金井市の幼稚園では園庭を運動靴の底がすり減るほど走りまくり、登り棒で一番高いところまで誰よりも早く到達するのが好きでした。国立市の小学校に通うときにバスに乗ります。定期券を見せて乗車すれば、運転手の真後ろが指定席。バスドライバーが3つのペダルの左側を2回踏んでギアを変更し、大きなステアリングを右手で大きく回しながら、駅前の狭い道を自由自在に操っていたことにとてつもない憧れを持っていました。今考えてみると、現在の職業にリンクしていると、あらためて感じています。
自身でハンドルを握るということへの興味も出てきます。近所の浅間山(せんげんやま)という小さい丘を自転車で上ったり下ったり。後輪を土や枯れ葉に乗せて横滑りさせながら走る毎日でした。前輪や後輪を持ち上げてアクロバティックなことから、アウトインアウトのライン取りまで、ごく自然に乗り物と人間の一体化というものに目覚めていきました。なぜか電気系にも興味があり、発電機を前後輪に取り付け、夜はヘッドライトやテールライトを明るくして走っていました。雪の降る日も自転車を持ち出し、前輪にスキー板をくくりつけてスノーモビルの真似事もしていました。
中学校ではラジコンに興味を持ちます。クルクルとドーナツターンをするとき、操舵角の量や向きで円旋回の大きさやスピードをコントロールできることを体感しました。自転車では中学校の友人と甲州街道の大垂水峠を攻めたりしました。くだり坂ではクルマを追い抜いて走ったことを今でも覚えています。
高校に入学した直後、山野家に思いもよらないニュースが飛び込んできました。アメリカへの移住です。生まれて初めて乗った飛行機はロスアンジェルス行き。LAXから自宅までの景色に入ってくるものは大量のクルマ。片側5車線のフリーウェイにクルマ大国の凄さを直感しました。15歳の終わりで降り立ったカリフォルニア。16歳になりすぐにクルマの免許を取ります。車両感覚を掴みたくて、ガレージの壁沿いに箒を立て、その箒が動くまでバックします。エスカレートし、最後は新聞紙一枚の厚さまで壁に近づけないと気が済まない"車庫入れマニア"になりました。日本では考えられませんが、現地の高校や日本人学校にクルマで通い、ヒール&トーなど操作系はすべて通学により身に付いたと思っています。
山野哲也が語る
「いいタイヤができるまで」
第一回「プロフィール」
みなさんこんにちは。山野哲也です。いつも応援していただき、ありがとうございます。「いいタイヤができるまで」のコーナーの随筆を担当することになりました。第1回のスタートにあたり、私、山野哲也のプロフィールをざっくりとここで紹介させていただきます。
18.12.14 | 第八回「ブランニュータイヤのお披露目 発表試乗会~さぁ走りに行こう!」 |
18.06.15 | 第七回「試作タイヤ後期 様々なパターンの実走テスト、仕様決定」 |
18.03.14 | 第六回「タイヤ開発中期 スリックでゴム、主溝をテスト」 |
17.11.27 | 第五回「タイヤ開発初期 スリックタイヤで構造と形状をテスト」 |
17.08.04 | 第四回「開発会議に出席」 |
17.06.21 | 第三回「体調と情報の大切さ」 |
17.05.26 | 第二回「プロローグ」 |
17.05.26 | 第一回「プロフィール」 |