1984年、全日本学生ジムカーナ選手権で優勝し、大学から最優秀選手賞を授かりました。クルマが好きだったことで就職活動はすべて自動車メーカー。本田技研工業に入社し、サラリーマンを続けながら休日に全日本ジムカーナ選手権やシビックレース、スーパー耐久レースに参戦しました。サラリーマン3年目の春である25歳のとき、開発ドライバーとしてブリヂストンと契約することになりました。ちょうどその年である1992年に全日本ジムカーナ選手権シリーズが始まり、初代チャンピオンを獲得しました。31歳のとき、覚悟を決め、リスクの高い"運転のプロ"に転向しました。
ところで開発ドライバー契約とはいったいどんな契約なのでしょうか。当時は深く考えていなかったのですが、気付くとテスト走行の時間が増えていました。ジムカーナはもとより、サーキットテストも増えました。テスト走行とは、コースの占有走行を限られたメンバーで試験走行を実施することです。その場所にいるのはブリヂストンの研究開発部門のエンジニア、メカニック、タイムキーパー、ドライバーのみです。許可されたメンバー以外はシャットアウトされています。メンバーは全員機密保持契約を結び、テスト当日に知り得たことは他言しないのはもちろん、テストがあることも周囲には連絡はしません。なぜ機密性が高いか...それは発売前の見たこともない特別な"テストタイヤ"がたくさんあるからです。テストタイヤを使って走行を行い、それぞれのインプレッションをタイヤエンジニアに伝えるのが開発業務です。
ショップなどで販売されているタイヤは最初からスペックが決まっているわけではありません。様々なテストを経て仕様が決定します。タイヤは黒くて丸いもの。ある意味とてもシンプルですが、分子レベルで見ると化学の先端を走っています。それでいて暑い日から寒い日、豪雨や積雪、ドライ路から泥ねい路まで自然環境に対応しながら、重量が多く、速度が高い"クルマ"という乗り物と、あらゆる"路面"を結ぶ大切な役割を担っているのです。速く移動することができるウマやトラなどの動物は、一歩一歩地面を確認しないまま走り続けることができます。つまりタイヤは原始的、先進的、機械的でありながら走り続けるという意味で動物的な要素を持っているということになります。積雪路の接地性を上げたスタッドレスタイヤ、燃費向上を狙ったエコタイヤ、運動性能を発揮するスポーツタイヤなど、それぞれの目的に合わせたタイヤをそれぞれの環境で厳しくテストし、性能の高さが証明されたタイヤが量産され、全世界にデリバリーされていきます。
厳しいテストを行う開発ドライバーは、他の誰よりもタイヤ評価ができる人間になる必要があります。サーキットを駆けるタイヤ開発の担当として、「運転が速くて、正確で、コメントが的確である」という条件に応えるには、運転する自分自身の体調管理にも相当気を遣います。レースはライバルより先にゴールすれば優勝。でも近い将来世界中のサーキット愛好者たちが装着するであろうタイヤ開発には1/1000秒単位での全ての区間タイムが販売スペックの決定要素になります。1日100ラップ以上限界走行できるよう、1週間前から食事や睡眠時間をコントロールします。
山野哲也が語る
「いいタイヤができるまで」
第二回「プロローグ」
20歳のとき、帰国することになりました。アメリカの大学から日本の大学に編入したあとは学業、バレーボール、クルマという生活が続きます。あるとき、学生対象の安全運転技術コンテストに出場し、優勝しました。それをきっかけに体育会バレーボール部から自動車部に転部します。
18.12.14 | 第八回「ブランニュータイヤのお披露目 発表試乗会~さぁ走りに行こう!」 |
18.06.15 | 第七回「試作タイヤ後期 様々なパターンの実走テスト、仕様決定」 |
18.03.14 | 第六回「タイヤ開発中期 スリックでゴム、主溝をテスト」 |
17.11.27 | 第五回「タイヤ開発初期 スリックタイヤで構造と形状をテスト」 |
17.08.04 | 第四回「開発会議に出席」 |
17.06.21 | 第三回「体調と情報の大切さ」 |
17.05.26 | 第二回「プロローグ」 |
17.05.26 | 第一回「プロフィール」 |